宮城県女川町の東北電力女川原発周辺地区で、東日本大震災の被災者が古里を離れる動きが加速し、「原発との共存」が揺らいでいる。
主力の水産業が東京電力福島第1原発事故の風評被害にさらされるなど先が見えず、町中心部の復興住宅への転居を希望したりするケースが相次いでいるからだ。住民が約4分の1に減る地区もあり、「地域コミュニティーの再構築ができない」との悲鳴も上がる。【高橋克哉】
周辺地区には高台の平地が少ないため、被災したほとんどの住民は今、約15キロ離れた町中心部の仮設住宅で暮らしている。
20メートル近い津波に襲われた塚浜(つかはま)地区。漁業をしていた男性は同県石巻市に家を新築中だ。「漁業はもう、もうからない。女川原発が絶対危険だとは思わないが、より安全な場所で老後を過ごしたい気持ちもある」と打ち明けた。
町などによると、同地区では震災前の55世帯のうち高台の造成地に戻るのは19世帯。160人の住民は約40人に減る見通しだ。うち高校生以下の子供はわずか3人。区長の木村尚さん(60)は「漁業の後継者がいない世帯はまず戻らない。今は地域再生のアイデアもない」と話す。成人男性25人でかつぐ地元神社のみこしも小さく作り直すという。
震災直後の約3カ月間、住民の多くが原発敷地内の体育館に避難した。原発と背中合わせの暮らしだったが、木村さんは「違和感はなかった。原発のおかげで地域はやってこられたのだから」と振り返る。
一方で深刻なのは風評被害だ。同地区でサケを養殖する阿部彰喜さん(64)は自宅兼民宿と養殖施設が津波で流されたが、2012年に再建し出荷を再開した。だが港で取引される値段は震災前に1キロあたり平均450円だったのに、低価格のチリ、ノルウェー両国産の普及と風評被害が重なり同240円に急落。「2年間で6000万円の赤字」になった。赤字の5~9割を国が負担する復興支援事業で乗り切ったが、独立採算のめどは立たない。
「原発は女川のためにも日本のためにも必要」と思い、地元での生活再建を模索しながらも、風評被害で意識は揺らぐ。「事故を起こせば漁業者の生活を脅かすリスクになると実感した。(海抜29メートルにかさ上げ中の)原発の防潮堤を見ると、危険なもんなんだなと、つくづく思う」
海岸から原発建屋が見える小屋取(こやどり)地区も、被災した9世帯中、宅地かさ上げで元の場所に再建するのは5世帯にとどまる。工事完了は16年春の予定で、新居に住めるのはその先だ。戻る予定で仮設住宅に暮らす漁業、阿部好美さん(70)が嘆く。「まんだ折り返しかと思うと気分が沈む。漁や原発よりも住宅再建が最優先だ」
「毎日新聞」より転載
こういう光景が原発立地自治体に広範に拡がってきているのに、まだ原発依存を続けようという自治体があるのにびっくりだ。
それだけ貧しくて展望が描けないということなのか。
原発マネー頼みの地域作りなんか破綻するのだから、もっと知恵を絞れないものか。
もっとも原発マネーから今度はカジノマネーに転換を図る自治体も出てきているようだけど、懲りないねぇ。