安倍首相がきのう、靖国神社に参拝した。首相として参拝したのは初めてだ。
安倍氏はかねて、2006年からの第1次内閣時代に参拝しなかったことを「痛恨の極み」と語ってきた。一方で、政治、外交問題になるのを避けるため、参拝は控えてきた。
そうした配慮を押しのけて参拝に踏み切ったのは、「英霊」とは何の関係もない、自身の首相就任1年の日だった。
首相がどんな理由を挙げようとも、この参拝を正当化することはできない。
中国や韓国が反発するという理由からだけではない。首相の行為は、日本人の戦争への向き合い方から、安全保障、経済まで広い範囲に深刻な影響を与えるからだ。
■戦後日本への背信
首相は参拝後、「母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りし、手を合わせる。それ以外のものでは全くない」と語った。
あの戦争に巻き込まれ、理不尽な死を余儀なくされた人たちを悼む気持ちに異論はない。
だが、靖国神社に現職の首相や閣僚が参拝すれば、純粋な追悼を超える別の意味が加わる。
政治と宗教を切り離す。それが、憲法が定める原則である。その背景には、軍国主義と国家神道が結びついた、苦い経験がある。
戦前の靖国神社は、亡くなった軍人らを「神」としてまつる国家神道の中心だった。戦後になっても、戦争を指導し、若者を戦場に追いやったA級戦犯をひそかに合祀(ごうし)した。
境内にある「遊就館」の展示内容とあわせて考えれば、その存在は一宗教法人というにとどまらない。あの歴史を正当化する政治性を帯びた神社であることは明らかだ。
そこに首相が参拝すれば、その歴史観を肯定していると受け止められても仕方ない。
それでも参拝するというのなら、戦死者を悼みつつ、永遠の不戦を誓った戦後の日本人の歩みに背を向ける意思表示にほかならない。
■外交にいらぬ火種
首相の参拝に、侵略の被害を受けた中国や韓国は激しく反発している。参拝は、東アジアの安全保障や経済を考えても、外交的な下策である。
安倍首相はこの春、「侵略の定義は定まっていない」との自らの発言が内外から批判され、歴史認識をめぐる言動をそれなりに自制してきた。
一方、中国は尖閣諸島周辺での挑発的な行動をやめる気配はなく、11月には東シナ海の空域に防空識別圏を一方的に設定した。米国や周辺諸国に、無用な緊張をもたらす行為だとの懸念を生んでいる。
また、韓国では朴槿恵(パククネ)大統領が、外遊のたびにオバマ米大統領らに日本の非を鳴らす発言を繰り返してきた。安倍首相らの歴史認識への反発が発端だったとはいえ、最近は韓国内からも大統領のかたくなさに批判が上がっていた。
きのうの首相の靖国参拝が、こうした東アジアを取り巻く外交上の空気を一変させるのは間違いない。
この地域の不安定要因は、結局は歴史問題を克服できない日本なのだという見方が、一気に広がりかねない。米政府が出した「失望している」との異例の声明が、それを物語る。
外交官や民間人が関係改善や和解にどんなに力を尽くそうとも、指導者のひとつの言葉や行いが、すべての努力を無にしてしまう。
問題を解決すべき政治家が、新たな火種をつくる。
「痛恨の極み」。こんな個人的な思いや、中国や韓国に毅然(きぜん)とした態度を示せという自民党内の圧力から発しているのなら、留飲をさげるだけの行為ではないか。それにしてはあまりに影響は大きく、あまりに不毛である。
首相はきのう、本殿横にある「鎮霊社」にも参った。
鎮霊社は、本殿にまつられないあらゆる戦没者の霊をまつったという小さな社(やしろ)だ。首相は、ここですべての戦争で命を落とした方の冥福を祈り、不戦の誓いをしたと語った。
■新たな追悼施設を
安倍首相に問いたい。
それならば、軍人だけでなく、空襲や原爆や地上戦に巻き込まれて亡くなった民間人を含むすべての死者をひとしく悼むための施設を、新たにつくってはどうか。
どんな宗教を持つ人も、外国からの賓客も、わだかまりなく参拝できる追悼施設だ。
A級戦犯がまつられた靖国神社に対する政治家のこだわりが、すべての問題をこじらせていることは明白だ。
戦後70年を控えているというのに、いつまで同じことを繰り返すのか。
「朝日新聞」社説より転載
僕は個人的に朝日新聞を信用していないが、この社説は賛同できる内容だった。
安倍晋三という人間の頭の中からは「戦犯」という概念は抜けている。
先の大戦は聖戦であったという認識だから、戦犯などは居てはいけないのだ。
またあわせて、戦争で亡くなったのは、軍人だけでは無かったという事実も抜けている。
「母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りし、手を合わせる。それ以外のものでは全くない」というなら、東京大空襲をはじめとする各地の空襲やら、沖縄での地上戦やら広島長崎の原爆やら、あるいは日本軍が侵略した朝鮮半島、中国さらに東南アジア各地で殺された人たちはどうなのか。
目線は侵略者からのものでしかない。
こんな人間のめざす外交が、信用されるわけがない。