昨年9月、取材で知り合った被災地・福島の男性から電話がかかってきた。受話器ごしに語られた言葉に、私は耳を疑った。「今日『尾崎さんとのことを教えてくれ』と福島県警の警官二人が突然やってきました。お昼前から2時間、事細かに質問を受けました。今日は私の町に泊まって調書を作成し、明日署名を求めに再び来るそうです。いったい、福島の警察は何をやっているんでしょうね。そんな暇とお金があるんだったら、行方不明者の捜索に力を注いで欲しいです」
男性は福島第一原発から3キロのところに暮らしていた。震災の日、男性は津波に流された家族を夜通し探し続けた。しかし翌朝、原発事故を受け避難指示が出される。男性はやむなく捜索を断念。次女はいまも行方不明なままだ。
「家族を救ってやれなかった」との後悔を胸に、男性は自宅周辺に通い次女の捜索を続けている。私は男性の思いを伝えるべく行動をともにした。その男性に警察の手が及んだ。
私が現地に入ったのは昨年の5月30日。「ついに警戒区域で自殺者が出てしまった」と、浪江町の住民から連絡を受けてのことだった。現場周辺は、放射能物質を含む土砂が山積みにされるなど、異様な世界が広がっていた。「もう、戻れないんだべな」という言葉を残し、その人は命を絶ったという。「いつか帰れる、と嘘ぶく国や町、そして東電が殺したようなものだ」と住民は悔しがっていた。
「隠され続ける警戒区域の現実を伝えて欲しい」。そう話す住民の車に同乗し、翌31日、私は再度区域内を回った。住宅地では20頭ほどの離れ牛がさまよっていた。原発に近い公園は、遠隔操作仕様の重機置き場になっていた。
海岸沿いでは、津波で流された次女を捜す男性にも会った。男性は警察救助犬の担当者を現場に案内していた。次女の手がかりが見つかるかもしれないと、男性は期待をもって語っていた。
ところがその日、福島県警は災害対策基本法(災対法)違反の疑いがあるとして、私のみならず、住民にまで事情聴取を行った。「住民に立ち入り許可証を発行している自治体は、取材者の同行について何の制限もしていない」そう説明する私に対して警察は聞く耳を持たず、その後も住民と私に出頭要請を繰り返した。
そして9月には県警が被災者の自宅にまで押し掛けるという事態となった。そこで弁護団の協力をあおぎ、緊急会見を開くことになった。
会見で住民の方はこう語った。「僕は故郷の惨状を知らせねばと、大手の新聞・テレビ局、海外メディアもフリーの方も分け隔て無く警戒区域の中に案内してきた。それの何が問題だというのか」
法的解釈について梓澤和幸弁護士が説明した。「住民の方、そして取材者に対する警察の行為は重大な憲法違反だ。知る権利を含む憲法21条に反する。災対法はあくまで住民の保護が目的だ。自ら被ばくの危険を冒して知る権利を行使しようとする住民や、現場に入る取材者に対して災対法を当てはめるのは間違いだ」
10月には、大飯原発再稼働に反対する市民を撮影した映像を押収するため、福井県警が市民メディアの事務所にガサ入れするという事件も起きた。不都合な真実を覆い隠し、市民と取材者への圧力を加速する警察。その実態を広く伝える必要を感じている。
尾崎孝史(写真家)
日本ジャーナリスト会議「ジャーナリスト第658号2013.1.25付け」より
まったく、権力はいつも具合の悪いものは隠そうとし、反対するものは潰したがる。
参考ホームページ
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