知っていますか?「国際法」「日米安保」 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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 尖閣、竹島(韓国名・独島)の領有権をめぐる問題が、死に体の野田政権を揺さぶっている。

 今月23日の記者会見で、「毅然とした態度」、「不退転の覚悟」といった言葉を並べてみた首相だが、北京では駐中国大使を乗せた公用車が襲われ、車の日本国旗が奪われるという事件まで発生しており、状況が好転する気配すら感じられない。

 領土問題は、いったんこじれると最終的には武力衝突にまで発展する厄介なものであり、そのことは歴史が証明している。時の為政者の能力や資質が問われる事態であることは間違いないが、基本的なことをおろそかにしたまま、他国の動きや自国の主張ばかりを垂れ流す報道のあり方、世の風潮には疑問がある。


 “基本的なこと”であるはずの言葉の意味や内容についての検証が、おろそかになってはいないだろうか。



あやふやな「歴史」や「国際法」


 23日の記者会見、野田首相の発言の中には「歴史的」、「国際法」といった言葉が何度も登場した。尖閣、竹島の両島が、歴史的に見ても日本固有の領土であり、このことが国際法上も明らかだとする主張なのだが、歴史的事実の検証や国際法上のルールについて詳しく検証・解説した報道を、筆者は寡聞にして知らない。


 ためしに、政治家、報道関係者、役人とかたっぱしから字句の意味を聞いてみたが、満足な答えは返ってこなかった。迂闊と言うほかないのだが、言葉の意味も確認しないまま、議論や報道が沸騰しているのが現在の状況なのである。


 例えば、「国際法」というが、じつは個々の条文によって編まれ明文化されたものではない。条約や国際慣習の総称を指すもので、国家間で守るべき規定なのだが、明文化された法律があるものと思い込んでいる人は少なくないようだ。


 「国際法上も日本の領土であることは明らか」と主張したある国会議員に話を聞いてみたが、詳しい解説ができなかったことは言うまでもない。


 「歴史的」についてはさらにお粗末だ。とくに竹島に関する歴史的な流れを明確に説明できる人が見あたらなかった。この点については稿を改めて検証するが、古文書をめぐって日韓の解釈が違うという竹島問題は、尖閣とは分けて議論すべきであり、よほど研究がなされない限り納得できる答えを得ることはできないだろう。


 専門家や直接的な関係者はさておき、ことほどさように議論の前提があやふやなのである。


日米安保条約
 

 こうした例は他にもある。尖閣諸島の問題に絡んで必ず出てくるのは日米安保である。同諸島の実効支配を続ける日本に対し、中国が武力行使に及んだ場合、当然日米安保条約の存在がクローズアップされる。

 沖縄への垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ配備も、根拠となるのは日米安保条約である。

 それでは日米安保条約とはいかなるものか?

日米安全保障条約
 右は日米安全保障条約の条文だが、正式名称「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」には、前文とわずか10条の規定しか存在しない。

 沖縄に12箇所、本土に9箇所の米軍主要施設・区域が設けられているのは、第6条の《日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される》という一文に依拠しているのだが、そのことさえ知る国民は少ない。

 「日米安保条約はわずか10条しかない」と言うと、「エッ」という顔をする人ばかりだ。

 
 この国の報道を仕切ってきた「日本新聞協会」によれば、《記者クラブは、公的機関などを継続的に取材するジャーナリストたちによって構成される「取材・報道のための自主的な組織」》なのだそうだが、その記者クラブのジャーナリストさんたちでさえ、日米安保条約が何条まであるかという質問には即答できないケースが多い。「国際法」や「歴史」についても然りだ。

 しょせんこの程度の(もちろん筆者も含めて)“ジャーナリズム”なのである。


 幸い、尖閣・竹島の問題について、日本国内の大半の国民は冷静である。一部の偏狭なナショナリズムが「いつか来た道」につなながることを、体験的に知っているからに他ならない。

 報道や過激な言葉に踊らされることなく、歴史や言葉の意味をじっくりと調べてみたい。


「HUNTER」より転載