巫kannagiのお喋りブログ

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昭和の時代が懐かしい!ほっこりします♪忘れていた記憶が蘇ります♪
懐かしのお品も取り扱っております。
https://kdkaikodou.buyshop.jp/

懐かしいの本拠地、ヨコハマへ行って来ました。

生まれも育ちもヨコハマです。


やはり、ヨコハマに着くと、港町の匂いがします。これが良いんですねぇ〜♪あぁ〜、帰って来たと言う気持ちにさせてくれます。他県の人には、港町特有の匂いは、わからないと思います。


懐かしの『龍味(りゅうまい)』に行きました。地下の相鉄ジョイナスにあります。昔のダイヤモンド地下街ですね。相変わらず、凄い行列で、20人は並んでました。


良く母が若い頃、ヨコハマの西口にあったデパートの三越に勤めていた際に、連れて行ってもらったのが龍味でした。


やはり、ヨコハマの女の子は、埼玉と違って可愛らしいです。前に、2人で並んでいた女の子は、埼玉では見ない可愛らしさでした☝️😊👍





私が食べたかったのは、神奈川県の大抵の中華屋さんにはあるメニューで、サンマーメンです。郷土料理ですね。良く家でも、昔は、サンマーメンやサンマー丼を作って食べました。


ラーメンに秋刀魚が乗っかっている訳ではありません。( ̄^ ̄)!

↓こちらです!





トロミを付けた野菜が乗っかっています!


味が懐かしい味です。昔食べた味と変わりません。昔は450円でしたが、600円になってました。


餃子も頂きました。





↓昔はヨコハマの西口を出ると、すぐに、正面に階段とエスカレーターがありました。当時、栄えていたのは、西口でした。













↑上の画像のような形に昔はなってましたが、今は階段やエスカレーターがあった場所が埋められてなくなっています。↓今はなくなって、こんな感じです。


↓上が昔の高島屋とジョイナスで、下が今の高島屋ですね。今、住んでいる埼玉県の某市には、このようなデパートはありません。





昔は、ダイヤモンド地下街へ行く、階段を降りて、左側には、ミルクスタンドがありました。対面は、宝くじ売場でした。

↓昔のミルクスタンドと宝くじ売場。




このミルクスタンドの並びには、ホットドッグやアメリカンドッグの販売スタンドがあり、よく子供の頃は、食べたものでした。

↓しかし、今はこんな感じです。


姿形がないだけでなく、その雰囲気すらありません。左側がミルクスタンドがあった場所で、右側が宝くじ売場があった場所です。

↓昔のダイヤモンド地下街は、「昭和ノスタルジア横濱」と題して、イベントをやっていた時代があり、日ノ出町の『昭和堂』さんから、色々な商品が、提供されました。






















↓今の相鉄ジョイナス(旧ダイヤモンド地下街)は、こんな感じです。


凄く綺麗になってます。当時の雰囲気はありませんでしたが、港町ヨコハマの雰囲気だけは感じられました。

昭和堂さんも、昔は良い時代がありましたが、やはり、全盛期は、この当時だったのかもしれません。
今は、↓こんな感じで、昔ほど良いものは少ない感じでした。


このあと、伊勢佐木町まで歩き、関内の方へ行きました。

そのあたりは、また次回〜!
☝️😊👍


昨夜、バラエティー番組の『奇跡体験!アンビリバボー』でやっていた、幸せの青い島と、蝶々は、綺麗でしたね。



シドニーから東京へ向かうジャンボ機で、見える島で、約1〜2分しか見えないようです。





通称は、「バタフライアイランド」と呼ばれるそうです。


青い蝶々が飛んでいるように見えるからですね。


これをスマホの待ち受けにしたら…幸運が訪れたとか言われております。


また…青い蝶々も、そのようです。


昔は、青い鳥と言う童話がありましたが、今では、島や蝶々になりました。



伝説の青い蝶、ブルー・モルフォです。


興味のある方は、☟こちらから、保存して、スマホ待ち受けにしても良いと思いますよ。



バタフライアイランドとブルー・モルフォの2画像を合わせて、いっぺんに待ち受けにしたら、効果も相当あると思いますね。


是非、お試し下さい。

☝🏻😄👍🏻





他人に興味があることもあるでしょう。


でも、人は一番興味あるのは、自分なのです。


若い時は、あまり考えないでしょうが、自分のルーツについては、重要なのです。


自分の両親や祖父母までは、ある程度わかっていても、大正や明治、幕末や江戸時代等以前にまで遡り、自分の先祖を知っている人は少ないと思います。血族なのにです。



↑AI画像

今の世の中で、何か、成功をおさめても、一瞬の出来事かもしれません。その時は、有名になっても、40年後50年後、あなたを覚えている人は少ないと思うのです。




↑AI画像(上下)


例えば、かつてのアイドルを今の人に聞いても、誰ですか?と言うような答えが返って来るのと同じですね。


教科書に載るような人物であれば、名前くらいは、後世に伝わるでしょうが、そうでない場合は、あなたの先祖と同じように、名前も顔もわからないし、どんな人だったかもわからなくなってしまいます。


また、今、住んでいる場所、職場や地域との関係のみが主体になってしまいます。転居したり、転職したならば、その環境での生き方になってしまうのも、わからなくする要因ですね。


我々は、そう言う世の中に生きているのです。


楽しかったことや、悲しかったこと、内緒のこと、もう忘れてしまったこと…様々なことが、全て、自分の中で完結し、他の誰とも共有が出来ない瞬間が来るようになっているんですね。


歳を取れば取るほど、両親は他界し、兄弟や同級生も鬼籍に入ったりする。


自分の昔を知る人が少なくなるようになっているんです。


それと共に、自分のことや他人のことも、わからなくなってしまったりします。


そう言った人生と言うものを、人類は、ずっと繰り返して来たのです。


人は他人に、自分のことを覚えてもらいたいか?覚えてもらいたくないか?


どちらかと言えば、覚えてもらいたいだろうと思うのでしょうが、忘れてしまったり、わからなくなってしまうように、なっているんです。


覚えてもらうために、生きている訳ではないのですが…現実では、そうなってしまいますが、でも、魂はしっかり覚えています。あなたと出会ったことも…


では、何のために生きるのか?


食べて行くために、生きるのか?


楽しむために生きるのか?


カネを稼ぐために生きているのか?


今、辛い人も悲しい人もいるでしょうし、ハッピーな人もいるでしょう。


↓AI画像


でも、皆、自分のルーツ(祖先)を遡ってまでは、知らない。まぁ、知ったとしても、曾祖父母程度まででしょう。


もし、タイムマシーンに乗って、曽祖父のいる時代にタイムスリップしたとして、本来、曽祖父が結婚する相手の曾祖母でなくて、別の相手を勧めて結婚させて、子孫繁栄した場合、自分は生まれない形になってしまいます。


と言うか、この世にいる自分は、この場合、消滅してしまうのですね。存在しなくなるのです。自分とは違う人のルーツになるのですね。もうDNAが違うのですから…



江戸の中期に、自分の祖先が、江戸の豪商だったとしましょう。それがわかった時点で、どんな人生だったか?と、興味を持つと思うのです。凄い祖先がいたんだと…また、その人がどうやって豪商にまでになったかを知りたくなるでしょう。


↓かつての豪商



もし、その豪商にまでになった人の人生が、具体的にわかると、自分の中にリンクして、その人の人生や諸々が、心にしみて来るかもしれないのです。


また、祖先が、江戸の中期に、歌舞伎踊りを行っていたと言う人だったとしても、同様に興味を持つかもしれませんね。


↓歌舞伎踊り


↓歌舞伎踊りする阿国(おくに)


ルーツは、祖先の人生を自分のものに出来るかどうかが、生きていく価値や理由にもなるんじゃないか?とさえ思うのです。自分の中に祖先の思いを生かす状態にすると言うことですね。それは、かつて好きだった人が、今も自分の中にいると言う感じに似ています。


自分の構成要素は、多くの先祖からのDNAによって、成り立っていることを認識することですね。そのためには、今、生きている両親や親戚等に、自分の祖先について、聞いてみることです。両親や祖父母と仲良くない人は、これが切っ掛けで仲良くなるかもしれません。また、家系を調べることですね。


ルーツに関わる全ての祖先が、その人生を全う出来た訳ではないと思いますが、そのルーツを自分が知ることで、自分の人生を心豊かにするのではないか?と、思うのでした。

☝️😊👍



包丁人味平と言うと、漫画だと言われる人も多いと思うんですが、今、読んでみると、現在の子供には、内容が難しいんじゃないかと思うのです。


かなりリアルで、包丁人や料理人の世界は、凄いなと言う迫力だけでなく、しきたりや職人の縦社会が見事に描かれているのを見ると、大人向けの劇画に近いと感じるのですね。さすが、ビッグ錠先生だと思いました。



例えば、鯛の活き造りについても、ただ、鯛を捌いて、刺身にして、舟盛りするだけじゃないんですね。


骨になった鯛が、水槽の中で、泳ぐんですね。








これが流行った当時、テレビで、活き造りをして、水槽に骨だけの鯛が泳ぐのを見せていました。まるで、マジックのようでしたが、今では、知る人も少なくなったと思います。


また、アイスクリームのフライのシーンもで出来ます。



これはフライですが、今では、アイスクリームの天ぷらが普通にあります。渋谷や新宿、上野などの「つな八」では、アイスクリームの天ぷらがあります。


☟つな八のアイスクリームの天ぷら


肉の宝分けも、出てきます。肉は、部位によって切り取られるのですが、短時間で、切り分ける方法として、白糸バラシも、見事でした。







白糸で、肉の部位を切り分けるのです。背ロース、肩ロース、もも肉、すね肉、肩肉、ヒレ肉、バラ肉に切り分けるのです。


まぁ、あげれば切りがないのですが、五条流「水面浮島切り」もなかなかのものでした。

水面に浮いたキュウリを、包丁を振り下ろして、縦に2つに切るのです。


江戸時代から続く、お伊勢焼きも、包丁人味平で登場します。日本全国から、お伊勢参りに来られる参拝客の空腹を、早く満たすための焼き方ですね。


社会と言うものは、こういうものだと、包丁人味平で教えてもらったのですね。漫画は、架空の絵空ごとではなく、リアルなものを、漫画と言う絵で表現しているんですね。


表現形態が、小説や映画もあるし、テレビドラマもあり、それが漫画・劇画だったと言うことなんだろうと思うのです。決して学校では学べない内容だったのですね。

☝🏻☺️👍🏻



他の方のアメーバのブログ記事で、都内はお米が売り切れと言うのを何件か見て、近くのスーパーに行ってみましたら…いつもは一杯に平積みしてあるコーナーに、ポツンと、2袋分(1袋5キロ、千葉県産1袋と茨城県産1袋)だけ売っていたので、千葉県産のを1袋分買いました。うちもお米が切れそうなので…





↑画像は、AIで作りました。


やはり、南海トラフ地震のことを考えて、買い貯めなんでしょうか?


この暑い夏に、お米が売り切れなんて…おかしいと言うか、信じられません。


もし、このブログ記事に、気付いた方は、是非、お近くのスーパーで確かめてみて下さい。


うちの近所では、そうでもなかったのなら、良いのですが…

☝️😅👍



完璧主義者って、精神的にみると、独裁者になってしまう可能性が高いんですね。ヒットラーみたいにね。



↑2次元イラストや画像は、AIで作りました。


気持ちはわかるんですが、完璧主義者は、完璧にこだわってしまうから、ちょっとでも、完璧じゃないと、精神的におかしくなってしまうんですね。


光あるところに、影があるように、一見、完璧に見えるところも、影から見たら、そうでもないんですね。


要は、完璧のように見える、もしくは見せるのが良いんですね。


例えば、建築のジャンルで言うと、完璧にタイル張りをするって言うのは、難しいんですね。人間がやるから…綺麗に見せる張り方をするんですね。


ちゃんと計ったら、微妙に、1ミリか0.5ミリか、ズレているかも知れないけれど、全体的に綺麗に見えることがコツなんです。


完璧は求められないんですね。


また、完璧なものは出来ないのが当たり前になっているんです。


完璧なタンスの話をしましょう。


かつて、タンス職人さんが、壊れなくて長持ちする桐のタンスを作りました。何十年経っても、壊れることはありませんでした。


それを聞いたお客さんたちが、凄いと言って、そのタンスを買い求めました。タンスは、沢山売れました。


ところが、一時的に、数年間は売れましたが、それ以降、ピタッと売れなくなりました。


なぜなら、買い替える必要がなかったからです。壊れないからです。


今では家電でも、洗濯機などには、シールが貼ってあり、耐用年数が記されています。5年とか記されています。メーカー側が、逆に完璧でなく、壊れるように作ってあるのです。その目安が、シールに記されてあるのです。


壊れないと、不景気の時は、すぐ買ってもらえないからです。


壊れてしまうと、やはり、買い替えなくてはならないので、どうしても必要な物は買います。


そうやって、買い替え時を、メーカーは作っているのです。


よく、この洗濯機は、当たりだなって言われる時は、耐用年数より、保っている時です。

ハズレは、耐用年数より短い期間で、壊れてしまいます。


今は、完璧に作らなくても良い時代になったんだと思います。そうは言っても、適当に作ることもありません。



↑軍帽を被らなくても、良いんですよ。
※画像と2次元イラストは、AIで作りました。


だから、あまり完璧にこだわらなくて良いんだと思います。

☝️😄👍

こう暑いとあまり外には出たくなくなりますね。


でも、子供の頃は、ベランダからずっと外を見ていた記憶があります。





↑AIで作ったリアル画像と2次元イラスト!印象変わるわ!



別に夏休みとか、そう言う訳ではありません。


嫌なことや煩わしいことがあった時、好きな人が出来た時etc…


誰も知らない、どこか遠くへ行ってみたいなと…


寅さんに憧れもあったのでしょうね。


だって…寅さん、旅先で、いつも恋してたからね。

ジェリー藤尾さんの、「遠くへいきたい」も、後押ししていたかもしれません。良い歌詞ですから…

↓YouTubeで見るならこちらから❗️
遠くへいきたい


でもね、いつも、ベランダから、外を眺めて、遠くへ行きたいなって、思っている時は、心の中で流れている歌があるのね。


↓その歌がビューティフル・サンデーです。


田中星児さんの「ビューティフル・サンデー」は、明るい歌で、日曜日の快晴な昼間に、ベランダでぼんやり外を眺めていると、心の中に流れて来て、いつの間にか、口ずさんでいるんですね。

口ずさんでいるうちに、快活になり、将来が明るいものだと思えて来るんです。

懐かしくなりましたね。

イラスト画像は、AIで作りました。なかなか当時の雰囲気を出して、良い感じに作ろうとしましたが、ドンピシャにはなりませんでしたね。

猛暑ですが、頑張りましょう。ちなみに、夏にカレーを、食べると、元気になりますよ。肉も野菜も入ってますし、スパイシーですしね。

辛いのがダメな人は、甘口にしたらどうですか?

たまに、私の知っている人でもいるんですよ。辛いのダメで、熱いのもダメで、お菓子などの甘いのもダメで、漫画やアニメもダメで、心配ばかり掛けて、リアルしか受け付けないみたいな人…まぁ、理由があるのでしょう、目の前からも、ネットからもドロンしてしまったみたいですが…

そうそう、ドロンと言えば、アラン・ドロンさんが亡くなられたそうですね。ご冥福をお祈り致します。

かつては、アラン・ドロンさんは、一世を風靡しましたね。特に、テレビのCMで、若かりし頃の水谷豊さんが、「アラン・ドロンかなぁ~」ってやってたのを思い出しました。

☟水谷豊さんの「アラン・ドロンかなぁ」です。



皆、懐かしい思い出ですね。
☝️😄👍



懐かCMです。
サントリーオールドのCMで、「恋は遠い日の花火ではない」と言うテロップが流れます。

私が好きなのは、ほとんどなのですが、長塚京三さんと田中美奈子さんが横須賀線か東海道線の4人席に、向い合せに乗っている際の会話が良いですよね〜。


田中:「私、新人の頃、課長に叱られて泣いちゃったことがあるんです」

長塚:「えっ、そんなことがあったっけ…」

田中:「だから、いつか泣かせてやろうと思って…」

ジッと田中美奈子さんが、長塚京三さんを見つめる。


長塚:「なんだよ、それ…」

恋は遠い日の花火ではないと、流れるんですね。

↓こちらから、見られます❗️
「課長の背中見るの好きなんです」から、始まります。
CMサントリーオールド 1994−1996


また、年末の商店街で、田中裕子さんの自転車のチェーンが外れてしまったのか、しゃがんで直しているところに、大森南朋さんが通り掛かり、その姿を見て、大森さんが、「直しましょうか?」と声を掛ける。
田中さんが、「ツイてないね〜」と呟くように言うと、大森さんが「俺ツイてます」と答えると、田中さんが大森さんの顔を見て、「えっ?」て見つめるシーンは、昭和の人なら、何を意味するかわかると思うんですよね〜。


また、田中裕子さんが勤めるパン屋さんに、サンドイッチを昼食に買いに来る、大学の助手か研究者か、白衣の若者に、田中さんが、「いつもうちのお昼じゃ飽きちゃうでしょう?」と言うと、その若者が「弁当だけじゃないから」と、真剣な眼差しで、田中さんを見つめる訳です。


そうすると、田中さんは、少しまばたきをして、彼の言った意味を考え、彼の去った方向を眺めるんですね。

恋は遠い日の花火ではないと…

今の若い人には、この会話の空気感がわからないんじゃないか?って思ってしまいます。

割と今の流行りの歌の歌詞にしても、具体的過ぎて、雰囲気とか空気感が、昔とは違いますからね。

でも、このCMを見るたびに、懐かしく思います、

リンクから、これらのCMが見られます。是非、懐かしさを感じてみて下さいね。
☝️😉👍

1945年8月14日、ポツダム宣言の受諾を通知して、翌日の8月15日の正午丁度に、ラジオで、玉音放送が流れました。





↓二種類の玉音放送です。

上が解説付きで、下が現代文訳のみです。




先の大戦は、第二次世界大戦とか太平洋戦争とか言われてますが、実際は大東亜戦争でした。大東亜共栄圏を確保するための戦いでした。

欧米の歴史学者からすると、自国のために戦争を行う国はあるけれど、他国のために戦う戦争は、歴史上珍しく、凄いことだと言う意見が当時ありました。

米英は、植民地化を推し進め、東アジアを席巻しつつありました。日本で言うと、織田信長や豊臣秀吉の時代から、特に英国は、植民地化のためにキリスト教宣教師を送り込ませて、懐柔し、弱体化させ、さらに、アヘン漬けにさせて乗っ取り、長く植民地化して来ました。


日本の場合は、バテレン追放令などで、植民地化を上手く逃れました。


かつて、四国の漁師が、沖合で時化にあい、難破したところ、外国船に助けられたのは良かったのですが、マカオ(フランシスコ・ザビエルがキリスト教を布教した拠点・当時ポルトガル領)で、人身売買され、奴隷になっているとの情報が、豊臣秀吉の耳に入ったことが切っ掛けで、キリスト教を警戒したのです。日本には、奴隷制度はありませんが、欧米列強では、当たり前の時代でした。

戦時中の米国のフランクリン・ルーズベルト大統領の家には、何人もの奴隷がいました。当時の言い方ですと、「奴隷を飼う」と言う言い方です。



こういった、米英の植民地化から、脱却して、東アジアは独立国として歩もうと言う狙いが、大東亜共栄圏にありました。


それは、日本古来の八紘一宇(はっこういちう)と言う考え方に基づいています。八紘一宇とは、人種・民族・宗教等の差別なく、世界のみんなが一つの家に平和に暮らすと言う意味です。そのための大東亜戦争であり、大東亜共栄圏だったのです。玉音放送でも、昭和天皇は、その点についても触れています。


ところが、そう言うのが気に入らなかったのは、米英です。特に、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領は、世界征服の野望のためには、日本が邪魔で、戦争を仕掛けたいが、戦争しない公約で大統領になったので、仕掛けられませんでしたが、ルーズベルト大統領は、日本から先制攻撃させるように仕組めば良いと考え、あらゆる手を使いました。


決め手は、経済制裁です。日本は、米国との一戦は、避けるべきと判断していたところの、経済制裁です。石油、鉄屑が入らなくなり、米国は、進軍を撤退させるように、日本に要求しました。戦艦を動かすにしても、石油が入って来ないと動かせません。また、鉄が入らなければ、戦艦すらできません。


日本の外相や首相が、ルーズベルト大統領に会談を申し込むも、全て断られ、もう打つ手は、開戦しかありませんでした。窮鼠猫を噛む状態です。

当時の日本の無線やモールス信号での暗号は、全て米国に傍受され、解読されて、内容は読み取られ、把握されていましたが、日本は気付いていませんでした。

終盤になり、日本は、原爆投下を受けて、天皇陛下は、ご聖断をされました。その内容が、玉音放送です。先に原爆の製造に目を付けたのは、日本でしたが、資源に乏しく、先を越されてしまいました。


結局、終戦を迎え、敗戦となりました。GHQがとった行動は、戦勝国に不利になる内容については処分し、戦勝国の歴史を作ることでした。



前述した大東亜戦争の意味である、大東亜共栄圏の確保の内容も、戦勝国が理不尽な植民地化を推し進めた内容に抵触するので、ふさわしくないとして、第二次世界大戦や太平洋戦争と呼ぶようにして、本来の意味を隠すように、GHQのマッカーサー元帥は、指示しました。



GHQのマッカーサー元帥が行ったのは、財閥解体や焚書などです。財閥解体は、大日本帝国に与した会社を解体し、社長や役員を更迭して、一般社員のまだ入って2〜3ヶ月の何もわからない人物を、社長にしたり、連合国側、特に米国に不利になる書物を焼いて処分したことです。大東亜戦争や大東亜共栄圏に記されたもの、原爆の悲惨さについてのもの、植民地化についてのものなど、米国筆頭の連合国の極悪非道な振る舞いを隠し、実態がわからないように仕組み、日本人の記憶からなくなさせることで、愛国心のない日本人に仕立てようと考えたのです。



米国にとって、日本人の大和魂が、一番怖かったからです。



その代わり、民主主義を、米国は日本に導入させたのです。主権は天皇陛下でなく、国民だと言って、喜ばせ、日本帝国から解放された印象を与えました。



米国にしても、元々は、英国から、メリーフラワー号(漫画ワンピースのではない)で、米国大陸に入り、ネイティブアメリカンを追い出して、独立した国なのです。



要は、英国から米国へ、そして日本へと、民主主義は、輸入されたのです。世界の歴史では、滅多に民主主義の輸入はありません。どこの国も、時の政権と戦って、民主主義を勝ち取るものなのです。



GHQは、戦争において、初めて、戦争犯罪人と言う言葉や概念を使いました。かつて、戦争において、犯罪とは、別物だったのに、欧米の歴史学者たちは、異議を唱えたものでした。戦争と犯罪は、違うものだと…歴史が証明していると…しかし、GHQは受け入れませんでした。



GHQが、一番戦争犯罪人として、捕らえたかったのは、天皇陛下でした。開戦当時の首相だった東條英機氏は、自殺未遂したあと、A級戦犯として極東軍事裁判に掛けられることになりました。


☟馬上の昭和天皇陛下



まだ、裁判前のことです。

「自殺未遂したらしいが、戦争の責任をどう思う?」と周囲から問われた東條氏は、「責任?私は陛下の言われるままに行っただけだよ」と、にこやかに答えると、「陛下が、戦犯になり処刑されてもいいのか?」と、突っ込まれました。ハッとした、東條氏は、気付いたようでした。

天皇陛下を戦犯にしてしまったら、末代までの恥だと。「東條、お前も軍人なら、最後に男になれ!」と言われ、覚悟を決めたと言われてます。

東條氏の行動は早かった。息子や娘が危険に晒されるのを恐れ、すぐ疎開させた。


☟東條英機氏


全部、自分の責任だと…天皇陛下には責任はないと…


極東軍事裁判で、そう述べました。天皇陛下を救ったのです。また、日本中の憎悪を一身に買い、悪役を演じることにもなったのです。


東條氏は、絞首刑後、遺体は家族に返されず、GHQが、火葬場へ運び、焼いて残った骨を軍用機に乗せて、海上からばら撒いて、散骨したのでした。


もし、遺骨を家族に戻して、お墓に埋葬したら、日本人として英雄扱いになったりして、参拝者が多く訪れれば、また、米国にとって良くない方向に行ってしまうのを避けるために、GHQが対処したのでした。GHQのマッカーサー元帥は、東條氏が天皇陛下を守るために、無実の罪を被っているのを知っていたからでした。


周到に、先のことまで考えたGHQの、嫌らしい考え方だと思いました。



さらに、嫌らしかったのは、旧ソ連(現ロシア)で、日本がポツダム宣言の受諾の通知をした後にも関わらず、日本の北方領土に侵攻し、戦勝国入りをした点です。ズル賢い国です。後出しジャンケンみたいなものです。終戦だと言っているのに、ドサクサに紛れて、宣戦布告して、侵攻して来たのです。



そのため、既に玉音放送を聞いて、終戦になっていたにも関わらず、戦闘に出なくては行けない日本の兵隊さんたちも多くいたのです。



そう言った歴史が、つい79年ほど前にあったのです。



私は戦後生まれで、戦争を知らない子供たちの括りに入りますが、敗戦後の昭和の歴史は、今の20〜30代の人には、日本史の授業で教えない傾向があること、未だに日米安保や敗戦時の米国との関係性を保持して、真実に蓋をする世の中なので、どこかに記しておかないと、戦勝国側の都合の良い歴史ばかりが通用してしまいがちになると思えたのです。



やはり、今日の終戦の日は、他国のために戦った小さな島国にいた民族の日本人だったことを、日本人として、記憶にとどめて置かなくてはならない日なんだと思いますね。

昔は、今とは全然違う学園生活だったと思う。


前々回のブログ記事の『青春ド真中!』にも出て来るが、この当時は、先生と生徒が仲良かった。


だいぶ前のブログ記事にも書いたが、先生の家に遊びに行って、ご馳走してもらったり、給料日に、職員室へ押し掛けて、ステーキをご馳走してもらう約束をして、連れて行ってもらったりとか当たり前のようだった。


そう言う関係性が、この『青春ド真中!』でも、出て来て、現実を反映していたなぁ〜と、しみじみ思うのだった。


☟『青春ド真中!』の仲が良かったシーン


この当時の先生は、金八先生や中村雅俊さんや、北野広大先生(ドラマ『熱中時代』)こと、水谷豊さんなどに、憧れて先生になる人が多かった。


東大を出ようが、早稲田を出ようが、こういったドラマの先生に憧れて入って来た、新人先生は、生徒にチヤホヤされて、褒められたりすると、人気者だと思って、その気になるものだった。


だから、「お腹空いた、奢って〜!先生!」に弱いのである。


ドラマと現実がリンクしていた時代だった。



特に、高校生くらいになると、1日3食じゃ足りないのが普通だった。


腹っぺらしの高校生にとっては、大切な先生だった。


ただ、男性の先生だけにしか、奢ってもらわなかった。女の若い先生は、先生から、「一緒に帰ろう」と言われて、仲良く二人並んで、帰ったりしたこともあったが、奢ってもらうような行動はしなかった。


もちろん、クラスメイトから、歩いている最中に、冷やかしの言葉が飛んで来たりした。「熱いなぁ〜!」などと…


やはり、この当時は、自分より、4〜5歳くらい年上の女性は、魅力的に見えたものだった。


懐かしい思い出であった。

☝🏻🤣👍🏻





P.S. Aytan、学園生活は楽しいものだったのよね。わかる?