1945年8月14日、ポツダム宣言の受諾を通知して、翌日の8月15日の正午丁度に、ラジオで、玉音放送が流れました。
↓二種類の玉音放送です。
上が解説付きで、下が現代文訳のみです。
先の大戦は、第二次世界大戦とか太平洋戦争とか言われてますが、実際は大東亜戦争でした。大東亜共栄圏を確保するための戦いでした。
欧米の歴史学者からすると、自国のために戦争を行う国はあるけれど、他国のために戦う戦争は、歴史上珍しく、凄いことだと言う意見が当時ありました。
米英は、植民地化を推し進め、東アジアを席巻しつつありました。日本で言うと、織田信長や豊臣秀吉の時代から、特に英国は、植民地化のためにキリスト教宣教師を送り込ませて、懐柔し、弱体化させ、さらに、アヘン漬けにさせて乗っ取り、長く植民地化して来ました。
日本の場合は、バテレン追放令などで、植民地化を上手く逃れました。
かつて、四国の漁師が、沖合で時化にあい、難破したところ、外国船に助けられたのは良かったのですが、マカオ(フランシスコ・ザビエルがキリスト教を布教した拠点・当時ポルトガル領)で、人身売買され、奴隷になっているとの情報が、豊臣秀吉の耳に入ったことが切っ掛けで、キリスト教を警戒したのです。日本には、奴隷制度はありませんが、欧米列強では、当たり前の時代でした。
戦時中の米国のフランクリン・ルーズベルト大統領の家には、何人もの奴隷がいました。当時の言い方ですと、「奴隷を飼う」と言う言い方です。
こういった、米英の植民地化から、脱却して、東アジアは独立国として歩もうと言う狙いが、大東亜共栄圏にありました。
それは、日本古来の八紘一宇(はっこういちう)と言う考え方に基づいています。八紘一宇とは、人種・民族・宗教等の差別なく、世界のみんなが一つの家に平和に暮らすと言う意味です。そのための大東亜戦争であり、大東亜共栄圏だったのです。玉音放送でも、昭和天皇は、その点についても触れています。
ところが、そう言うのが気に入らなかったのは、米英です。特に、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領は、世界征服の野望のためには、日本が邪魔で、戦争を仕掛けたいが、戦争しない公約で大統領になったので、仕掛けられませんでしたが、ルーズベルト大統領は、日本から先制攻撃させるように仕組めば良いと考え、あらゆる手を使いました。
決め手は、経済制裁です。日本は、米国との一戦は、避けるべきと判断していたところの、経済制裁です。石油、鉄屑が入らなくなり、米国は、進軍を撤退させるように、日本に要求しました。戦艦を動かすにしても、石油が入って来ないと動かせません。また、鉄が入らなければ、戦艦すらできません。
日本の外相や首相が、ルーズベルト大統領に会談を申し込むも、全て断られ、もう打つ手は、開戦しかありませんでした。窮鼠猫を噛む状態です。
当時の日本の無線やモールス信号での暗号は、全て米国に傍受され、解読されて、内容は読み取られ、把握されていましたが、日本は気付いていませんでした。
終盤になり、日本は、原爆投下を受けて、天皇陛下は、ご聖断をされました。その内容が、玉音放送です。先に原爆の製造に目を付けたのは、日本でしたが、資源に乏しく、先を越されてしまいました。
結局、終戦を迎え、敗戦となりました。GHQがとった行動は、戦勝国に不利になる内容については処分し、戦勝国の歴史を作ることでした。
前述した大東亜戦争の意味である、大東亜共栄圏の確保の内容も、戦勝国が理不尽な植民地化を推し進めた内容に抵触するので、ふさわしくないとして、第二次世界大戦や太平洋戦争と呼ぶようにして、本来の意味を隠すように、GHQのマッカーサー元帥は、指示しました。
GHQのマッカーサー元帥が行ったのは、財閥解体や焚書などです。財閥解体は、大日本帝国に与した会社を解体し、社長や役員を更迭して、一般社員のまだ入って2〜3ヶ月の何もわからない人物を、社長にしたり、連合国側、特に米国に不利になる書物を焼いて処分したことです。大東亜戦争や大東亜共栄圏に記されたもの、原爆の悲惨さについてのもの、植民地化についてのものなど、米国筆頭の連合国の極悪非道な振る舞いを隠し、実態がわからないように仕組み、日本人の記憶からなくなさせることで、愛国心のない日本人に仕立てようと考えたのです。
米国にとって、日本人の大和魂が、一番怖かったからです。
その代わり、民主主義を、米国は日本に導入させたのです。主権は天皇陛下でなく、国民だと言って、喜ばせ、日本帝国から解放された印象を与えました。
米国にしても、元々は、英国から、メリーフラワー号(漫画ワンピースのではない)で、米国大陸に入り、ネイティブアメリカンを追い出して、独立した国なのです。
要は、英国から米国へ、そして日本へと、民主主義は、輸入されたのです。世界の歴史では、滅多に民主主義の輸入はありません。どこの国も、時の政権と戦って、民主主義を勝ち取るものなのです。
GHQは、戦争において、初めて、戦争犯罪人と言う言葉や概念を使いました。かつて、戦争において、犯罪とは、別物だったのに、欧米の歴史学者たちは、異議を唱えたものでした。戦争と犯罪は、違うものだと…歴史が証明していると…しかし、GHQは受け入れませんでした。
GHQが、一番戦争犯罪人として、捕らえたかったのは、天皇陛下でした。開戦当時の首相だった東條英機氏は、自殺未遂したあと、A級戦犯として極東軍事裁判に掛けられることになりました。
まだ、裁判前のことです。
「自殺未遂したらしいが、戦争の責任をどう思う?」と周囲から問われた東條氏は、「責任?私は陛下の言われるままに行っただけだよ」と、にこやかに答えると、「陛下が、戦犯になり処刑されてもいいのか?」と、突っ込まれました。ハッとした、東條氏は、気付いたようでした。
天皇陛下を戦犯にしてしまったら、末代までの恥だと。「東條、お前も軍人なら、最後に男になれ!」と言われ、覚悟を決めたと言われてます。
東條氏の行動は早かった。息子や娘が危険に晒されるのを恐れ、すぐ疎開させた。
☟東條英機氏
全部、自分の責任だと…天皇陛下には責任はないと…
極東軍事裁判で、そう述べました。天皇陛下を救ったのです。また、日本中の憎悪を一身に買い、悪役を演じることにもなったのです。
東條氏は、絞首刑後、遺体は家族に返されず、GHQが、火葬場へ運び、焼いて残った骨を軍用機に乗せて、海上からばら撒いて、散骨したのでした。
もし、遺骨を家族に戻して、お墓に埋葬したら、日本人として英雄扱いになったりして、参拝者が多く訪れれば、また、米国にとって良くない方向に行ってしまうのを避けるために、GHQが対処したのでした。GHQのマッカーサー元帥は、東條氏が天皇陛下を守るために、無実の罪を被っているのを知っていたからでした。
周到に、先のことまで考えたGHQの、嫌らしい考え方だと思いました。
さらに、嫌らしかったのは、旧ソ連(現ロシア)で、日本がポツダム宣言の受諾の通知をした後にも関わらず、日本の北方領土に侵攻し、戦勝国入りをした点です。ズル賢い国です。後出しジャンケンみたいなものです。終戦だと言っているのに、ドサクサに紛れて、宣戦布告して、侵攻して来たのです。
そのため、既に玉音放送を聞いて、終戦になっていたにも関わらず、戦闘に出なくては行けない日本の兵隊さんたちも多くいたのです。
そう言った歴史が、つい79年ほど前にあったのです。
私は戦後生まれで、戦争を知らない子供たちの括りに入りますが、敗戦後の昭和の歴史は、今の20〜30代の人には、日本史の授業で教えない傾向があること、未だに日米安保や敗戦時の米国との関係性を保持して、真実に蓋をする世の中なので、どこかに記しておかないと、戦勝国側の都合の良い歴史ばかりが通用してしまいがちになると思えたのです。
やはり、今日の終戦の日は、他国のために戦った小さな島国にいた民族の日本人だったことを、日本人として、記憶にとどめて置かなくてはならない日なんだと思いますね。