先日訪ねた須賀神社を後にして

 

次に向かった先が太刀洗平和記念館

 

場所:福岡県朝倉郡筑前町高田2561-1

 

かってこの地には、旧陸軍が東洋一を誇った

太刀洗飛行場を中心とする一大軍部が存在し

歴史的な役割を果たしながら大きく発展した

しかし、昭和20年(1945)3月

米軍の大空襲により壊滅的な被害を受け

民間人を含む多くの尊い命が奪われた

又、

この飛行場は特攻隊の中継基地として

数多くの若き特攻隊員たちの出撃を見送った場所でもあります

この様な多くの尊い犠牲の上に現在の平和と繁栄が

あることに深く感謝し、「平和の情報発信基地」

として筑前町立太刀洗平和記念館は

平和へのメッセージを発信し続けたいと考えております

 

パンフレットからでした

 

須賀神社から20分弱でたどり着いたが

 

道中の外気温

 

社内での表示が37℃

 

はぁとため息が出る

 

外はカンカン照り

 

館内に急いで入る

 

平日なのに結構な人・人・人

 

観光コースにもなっているのだろう

 

バスでもやって来ていた

 

今日は沢山写真を撮ろうと構えていたが

 

館内は撮影禁止

 

撮影して良いのは3機の飛行機だけという

 

素朴な疑問

 

この様な施設は撮影禁止が多いが何でダメなんだろう

 

気を取り直して

 

まずは震電と云う飛行機から

幻の試作機「震電」

これは実物大模型です

「震電」は、終戦間際に九州飛行機株式会社で、

米軍爆撃機B-29の迎撃用として開発された海軍の局地戦闘機です

前翼型(エンテ型)といわれる形状で、

胴体後部にプロペラのある特異な形を特徴とした戦闘機

隣に並んでいるのが零式艦上戦闘機三二型

世界で唯一の現存機

三二型は皆さんが良く知っているゼロ戦に比べ

翼端が50㎝短い特異型

翼端が丸くなくスパッと切り取られています

次が九七式戦闘機

世界で唯一の現存機という

博多湾から引き揚げられたという

九七隻戦闘機は、日中戦争やノモハン事件で多用された軽戦闘機で

1936年に中島飛行機が開発し、

1937年に旧日本陸軍に採用された

この機体は金属製の単葉機で、固定足の主脚を持ち

優れたドッグファイターであり

特に

水平面の戦いに強かったと評価されている

近くで見ると金属製の特徴がよくわかるよ

撮影許可は上記3機のみ

 

天井にはB29爆撃機の実物大の型を吊るされており

この腹から爆弾を投下したのかと思うと

ぞっとする

 

 

館内には将来ある多くの若者たちが国や家族を護るために

自らの命をささげた事実を、

実物の零戦残骸や隊員の遺品などを通して

ありのままに紹介しています

 

家族にあてた手紙は凄く奇麗な毛筆で

 

ご両親様

 

父上様・母上様等々

 

読むと涙が出て来るのでチラ見

 

彼らのお陰で今の世があると思うと

 

感謝しかない

 

戦争の悲しい歴史を垣間見た

 

筑前町立太刀洗平和記念館でした

 

「かたりつぐ」

 

必要なことですね