3月31日  日曜日

 

土曜日の夜遅くにLineの通知音が鳴った

 

今頃誰からだろうかと見てみると

 

孫の龍人から

 

明日はサッカーの練習が無いのでどこかに行こうと

 

行先は爺ちゃんに任せると云う

 

もう遅いので明日考えると云って

 

お休みとLineを送った

 

日曜日の朝

 

何処に行くにせよ車で行くので

 

ガソリンを入れに行ってきた

 

そうこうするうち

 

龍人から

 

10時ごろ出かけようと云うので

 

いいよ

 

と云ったもののどこに行こうかと迷ってしまう

 

中津城に行って

 

昼食は美味しいラーメンを食べ

 

あとは気分次第と

 

龍人に伝えたら

 

それでOKと云う

 

弟の悠人も連れていきたいと云うので

 

一緒に行こうと返事する

 

10時ごろ家に迎えに行って

 

早速出発

 

1時間強で中津城の駐車場に着いた

「中津城」

黒田如水が豊臣秀吉の命令により九州を平定し

中津16万石を拝領して天正16年(1588)

中津川河口周防灘に臨むこの城を築いた

地形が北より南方に扇状をなしているので

中津城の別名を扇城という

日本三水城

中津城・高松城・今治城

 

早速

 

お城をバックに記念撮影

高校生と中学生の孫

 

爺さんと一緒に遊びに行ってくれる孫たち

 

この様な孫は珍しいのかなぁと思っているが

 

嬉しいものである

 

今日は一緒に天守まで登る

 

歴史の勉強会でもある

 

次は石垣について

石垣の中央付近に斜めのラインがある

ラインの右側が黒田時代の石垣

左側が細川時代の石垣

堀に沿って歩きます

記念撮影の龍人

登城します

振り返って隅櫓を撮影したら

何故かオーブも映り込んだ

入城料は3人で¥1000(大人2と子供1)

ガイドの方がいて色々と説明して頂いた

展示物

超お宝があった

一番上の槍

徳川家康公から頂いた槍との事

参勤交代で江戸城に赴く時にこの白鳥の鞘の槍を掲げていると

この槍の威光で諸大名より特に重視・

江戸城登城の際玄関先追持入御免であったと云う

この槍は

徳川家康公が織田信長公より拝領し徳川家の下方であったともいう

 

初めて知った貴重なお話でした。

👇は実戦用の鎧

天守からの眺望

 

 

 

私の若かった頃の城内の事を話してあげながら

門があったであろう処の石垣で

👆の石垣から石に刻まれた印探し

 

あでもない

 

こうでもないと

 

云いながら3人で探した印の付いた石

 

見つけましたよ

1枚目が田で2枚目が井

 

孫と楽しい中津城巡りが出来ました。

 

つづく