
不定期更新とはいえ、今年初めてのブログが2月中旬になってしまった。
「賠償金を取られる」か…あんたのポケットマネーで払えばいいじゃない。決して税金は使わないでね。
誰にも相談しなかった、すなわち決定前に反対意見を受け入れる隙を与えなかったのなら、その時点でこの校長以外は誰も悪くないからね。
成長過程にある時期に6年も同じサイズの服なんて着ていられるわけがないのに、一方的に保護者に高額な負担を強いるとか考えられない。
この校長が児童全員の分を買う覚悟があって本当にそうするなら賛同者も現れるだろうけど、ブランドに酔っているだけではないのか?
大半の大人はわかっていることだけど、この件の場合、「校長が」というより「校長という肩書きと権力を持った一個人が」と言ったほうが分かりやすいね。もっと簡単にいえば、肩書きと権力を利用した私物化だと。
私なら、裁縫はできないがタダでデザインするのに。学生服のデザインだけはめっちゃ自信あるから。
しかし、インターネットが普及しすぎているこの時代に、世の中に出回っていないデザインを無闇にアップすることは、「どうぞパクってください」と宣言しているようなものだから…う~ん、信用して預けられる機関はないものか…
こんな文章とかはパクられても何とも思わないが、デザインをパクられるのは絶対嫌だ。
「
YAH YAH YAH」の出だしそのものだ。このブログ記事でいう「手に入れたいもの」とは、“kanna76というアイデンティティーが作成したオリジナルデザインである”という証明だ。
その証明は大々的に公表されなくてもいいから、その証明さえできればオリジナルデザインをいつでもアップしたい。有名になりたいわけでもお金が欲しいわけでもなく、デザインを公開できさえすればいいだけなのだ。
私がこんなに制服のデザインにこだわっているのは、出身中学の制服がダサいからだ。
あまり書くと特定されそうだが、「全日本ダサい学生服コンテスト」のようなものがあれば、間違いなく優勝すると断言できるくらい。これよりダサい制服は見たことがないし、思いつくこともできない。この例えのタイトルもダサいが、例えをわかりやすくするのは大事だ。もしも、こんなやる気のない、デザインとは言いがたいようなデザインでもデザイン料を取っているとしたら、ボッタクリにも程がある。
「じゃあお前がデザインしろよ」と言われれば、喜んでする。
大事なことなので2回目言うが、裁縫はできない。
もし「このデザインが伝統だから替えない」という主張があっても、ダサい伝統なんか継がれなくていいじゃないか、と言いたい。伝統という言葉は良いことだけに使うべきだし、着ている現役の子たちの気持ちのほうが大事だ。
私はもちろん今は現役ではないが、現役時代にそのダサい制服で街を歩かされてすごく嫌だったという思いがいまだにある。
嫌な気持ちなんか受け継がれなくていい。
現役時代、制服がダサいと若い女性教師にチラッと話したら「え~、可愛いやん」と言われた。教員からすれば、学校は“職場”であり、下手なことは言えず職場である学校に忖度した発言だったのかも知れないが、「制服がダサい」と言ったところでクビや減棒になんかなりやしないのに…それとも、彼女個人のセンスが悪いのか。なにより、同じ女としてショックだった。
その当時から今もずっと、「ダサい制服に未来はない」と思っている。
多くの学校で、いじめ問題に関する取り組みをしているだろうが、ダサい制服だって、学校による生徒への公開イジメだと思っている。
仕事の制服なら敷地内だけですむものが多いから(敷地外もだと警察・消防・配達・運送・警備くらいか)、ダサくてもどうでもいいが、
学生服は「学校の顔」という面もあり、現役ならその「学校の顔」をさらして街の中を歩くので、年頃の若い子なら、カッコいい・可愛いデザインを着て歩きたいだろうし、それが当たり前の感覚だ。
学生服で大事なのは、「誰が(どのブランドが)デザインしたか」ではなく、「生徒たちが実際に着て通いたいようなデザインか」だ。
「高価なら良いデザイン」とも限らない。