長い記事となってしまいました。
時間がある時にお読みください。


この日、私が先に帰った時、
夫から聞くところによると、
義父母は、
娘たち(義姉妹)には娘たちの生活がある。
だから、自分たちのことは自分たちですると言い切ったそうです。
あちら(義姉妹の夫親達)のことの方が優先だそうです。

義姉妹もはっきり
「私たちは力になれない。どうしてもの時は言って、できることはするけど。」
と口にしたそうです。
そのうえで、
夫が、
「俺も自分に出来ることはするけど、Kannaには無理をさせない。まだ下の子もいろいろ手がかかるし、最近更年期障害がきついみたいだから。」
と言ったそうです。
その発言に対して、義実家が何を言ったのか夫に聞くと
「何も言ってなかったよ。」
と嘘をついている顔と声色で言ってました。
夫が私に伝えないと決めたのなら、
私はそれ以上聞かないことにしました。

が、翌日。
その日夫は仕事。
朝、庭に出ると縁側で義父母と義姉妹が話をしていました。
スルーする訳にも行かず、
おはようございますと声をかけると、
義姉妹から、
「うちの親をこれからもよろしくお願いしまーす」
とにこやかに言われました。
もう、イライラもしません。
義父が
「そんなにこっちのことは心配しなくていいからね。」
義母も
「私たちはまだまだ元気でやれるから。」
夫が黙っていたのはそういうことです。
私達は先の話を、今したい。
でも、義両親達は、
まだ話し合いたくないのだと知りました。
もう本当に、行くところまで行って、
どうにもならなくなった時にしか話はできないのでしょう。
けれども、
この時から少しして、
義母は入院を、主治医から打診されました。
2週間ほど。
その話を聞いた時は、私と義母だけ。
「私はいいんだけど、お父さんの面倒を見る人がいなくて。」
「お父さんの面倒って、食事の支度ですか?」
と聞くと
「それもあるけど、ほら、ああ見えて神経が細い方だから、1人にしとくと、余計なこと考えて、落ち込んでいくと思うのよ。」
話が見えません。
「ご飯とかお風呂とかをそっちで一緒にしたら、〇〇(次女)ちゃんとかもいるから、気が紛れて、寂しくないと思うのよ。」
「お義母さん、我が家の平日は、食事は、19時から20時くらいで、3人ともばらばらに食べます。‪□□くん(夫)の帰りは、だいたい21時前で、私は子どもの塾や部活動の送り迎えで、出たり入ったりです。
子どもの予定がない日は、残業してます。
一緒に過ごすのは無理だと思うんです。」
「私がいないところでひとりで置いとくのもね〜。」
「□□くん(夫)と話してみますね。」
と会話を切りました。
小学生の子どもでもあるまいし。
と喉まで、でかかってました。

帰ってきた夫に、
義母の話を聞かせると、
「なにそれ?」
「私に言われても。でも、お義父さんだからねぇ。」
と言うと苦笑いの夫。

↑↑↑こういう義父ですから。
スープとかを入れるカップ麺が作れるかどうか怪しい。

夫に、
「お義父さんたちの夕食の18時に届けるのは無理だけど、
その日作ったものを20時くらいに届けるのは出来ると思う。それを翌日温めて食べてもらえば。
あと、お父さん向きの柔らかめの和食がメニューに増えるよ。
2種類のご飯は作れないから。
でも、
次女を送り迎えしている間、お義父さんがひとりでこの家にいるのは嫌だ。」
夫が、
「俺だって、父さんだけが家にいるのは嫌だよ。本当に父さんのご飯もしてくれるの?
でも、毎日はやめよう。週に何回かにしよう。あとは、裏のコンビニと近くの定食屋に行けばいい。」
「お風呂や洗濯は?」
「それくらい出来ないとどうするの。」

その話を伝えに、夫と義実家に行きました。
すると義父は、何とかひとりでするつもりのようでした。
義父は、我が家で食事やお風呂や過ごすことなど考えていない様子です。
義母が先回りして、私に言ってたようです。
義母の普段からなんでもしてあげてるのは、もう息を吸うように普通のことで、
義母は自分がいないと義父はダメだと思っていて。
義父はそんなことを思っている訳では無い。

私は怖くなりました。
大人を自分がいないとダメだと思ってしまうこと。
義母は、優しくいい人で、義父に尽くし、子どもに尽くし、地域に尽くし。
それは、したくてしているのでしょう。
きっとその対象が、自分がいないと何も出来ないということに喜びとやりがいを感じるのです。
辛辣ですが、共依存ですらない、義母の独りよがり。
でも、それは裏を返せば、誰かを、何かをコントロールしたいという欲望がさせるもの。
なんだか今までの義母の行動の意味の一端がわかった気がしました。
「私がいないと、この人は駄目だわ」
そう思うことが快感なのです。
だから、自分の代わりを私にして欲しいのだと思います。
自分がしてきたことを、誰も肩代わりしなくとも、
義父が問題なく暮らして行けるなら、
義母にとって自分のしていたことが無駄な事だったことになるのですから。

私自身は、私じゃないとダメな人は今はこの世に一人もいないと思って生きています。
子どもが小さい時は、私じゃないとだめだと思っていましたが、
もう、今は大丈夫だと思っています。
生活については、私が居なくとも、夫も子どもも困らない力はあります。
夫も娘も、私が永久にいなくなったら、
ものすごく悲しんでくれるだろうし、
暫くは立ち直れないかもしれない。
それでも彼らは人生をちゃんと続けていくし、人生を楽しみ、幸せになる力を持っています。
そういう力を持つように子どもは育ててきたし、
そういう人を夫に選びました。
仕事なんて、私の替えは誰でも出来ます。
確かに困ることは沢山あるだろうけれど、
どうにもならないなんてことはありません。
そういうものです。

自分がいないとどうにもならないなんて、
思い上がりだと思っています。
なにかに依存してしまうことは気持ちが良い事、楽な事だと思います。
適度に依存されることは、快感かもしれません。
でも、私は依存することも依存されることも、徹底的に避けてきました。

自分が居ないと人生を送れない人はいない。
みんな自分の人生を生きているのだから。
助け合って、笑いあって、幸せにしあって、
それでも、人は一人で立って生きていく。

そんな風に義母は思えないからこそ、
自分の役割をそのまま誰か引き継ぐことが、
自分の価値を維持すると思っているのです。
今まで義母はそうやって生きてきて来たのです。
今更修正はきかないでしょう。
それに義母の生き方は義母が決めることです。
私の正論は、義母の正義とは違うところにあるはずです。

今回のことで、今までの義母の行動が、
私なりに理解出来たように思える一件でした。
これから、どうなっていくのか、
夫と2人で乗り越えたいと思っています。
オススメです。