旅の記念品(33)-比叡山修行僧の像-
国東半島六郷満山の寺院は、そのほとんどが天台宗でその時々に比叡山延暦寺や最澄とか伝教大師のお話を聞き、本堂などには「一隅を照らす」の張り紙があった。
社会人になったころ、京都に出かけたある日ケーブルに乗って比叡山に登ったことはあるがその時のことは全く覚えていない。
文化バスに携わって、年に一度は国東の各所を案内していたころ、誰言うとなく「比叡山にお参りしてみたいね」との声を聴き、平成11年の秋に現地探訪を企画した。
この時は「比叡山と湖東三山」という欲張りで結構贅沢な内容、3泊4日(名門大洋フェリー1泊)のコースを組むために下見を行ったのは7月だった。
比叡山ドライブウエイを登りながら〝あの山に登ってみたい″と思った動機も同じ様なものだったのかなと思っていた。そして、この時も以前のことは全く記憶に残っているものはなく、いっさいが新鮮で感動的だった。そして、同行したM氏の行動力「時間が許す限り出来るだけ廻ってみましょうよ」にお任せだった。
標高848mの比叡山に登るほどに雲は晴れ、根本中堂のある東塔だけと思っていたら思わず西棟に、観光客はまばらで法華堂、常行堂そして釈迦堂へ、釈迦堂の屋根は修復工事中で「昨年(1998)9月の台風7号、室生寺がやられたときですよ、此処も影響が大きく、裏の相輪塔もまだ手付かずです」と管理されている方の話だった。その裏手の風景は、信長の焼討を連想させるほど荒涼としていた。
横河(よかわ)まで車で約10分。途中に伝教大師像の建つ展望所。横川の参道には、ここで修業した道元(曹洞宗)、親鸞(浄土真宗)、日蓮(日蓮宗)の伝記看板が並び、その終わるところに朱塗りで舞台造りの横川中堂がそびえていた。
奥の元三慈恵大師(延暦寺中興の祖)の住いだったという四季講堂(大師堂)を拝観してから、東塔に向かった。
東塔の根本中堂の中では、講話がすすめられていて「今の世の中、何が大切かをもう一度考えてほしいと思います。1200年前、伝教大師は〝一隅を照らすこれ国宝なり″と説かれている」などと話されていた。
国宝館に行くと間もなく閉館、それでも事情を話して一巡させて頂いた。学芸員の方は「そのころは仏画が中心の展示ですが、お待ちしています」と一言、大津に来て、最も心からの優しさを感じた言葉で嬉しかった。
私たちは、東塔の一角にある延暦寺会館にお世話になるのでのんびりしていたが、各塔院は4時過ぎに閉鎖するのだ。「今日は晴れてきましたから夜景が一層綺麗に見えるでしょうよ」といわれた学芸員も、私たちが一巡するのを待たれていたのである。僧や執事たちが自家用車で帰路につく様子は、まさにサラリーマンの退社風景を見る思いだった。
翌朝は6時半からのお勤めだが4時には目が覚めてしまった。伊吹山から鈴鹿山脈の方は厚い雲があり日の出は期待できそうにないが、多くの鳥の鳴き声が聞こえた。
お勤めは、根本中堂の僧侶たちの勤行と同じ堂内で読経の響きを共有する貴重な体験、荘厳な読経、深閑とした堂内までも鳥の鳴き声は共鳴していた。頭上は花の描かれた格天井、正面には「伝教」と書かれた額があった。1200年その明かりが絶えなかったという燈明(みあかり)の淡い光のみが内陣の暗がりにみえる。
読経はやがて「般若心経」となり一堂に会した人々も小さな声で唱和している。それは私たちの健康や安全などの祈願であったのだろう。
次いで10分ばかりのお説教が私たちのすぐ側で始まり「自然と共に生活するということ、おせっかいと心配りのこと、金銀ブランドではなく誠意ある人こそ国宝だ‥」などと話された。
私はこの旅で、比叡山お参りを記念して何故か小さな修行僧の人形を求めていた。
写真は延暦寺で求めた可愛い修行僧の像(左)と根本中堂
(根本中堂は2016年から10年の予定で大改修中だがお勤め参加は継続されている)
