旅の記念品32 -球磨焼酎のガラとチョコ-
お酒は、嫌いでもないが、好んで飲まなくてはならぬほどでもない。会社勤めや友人同士、お客様接待、花見や忘年会、写真の取材先あるいは時に晩酌などで長い間には、様々なお酒と関わって来た。大酒飲みではなく、雰囲気で飲むタイプかも知れない。ただ一杯飲んだ時の爽快感、料理にぴったりの味わい、話が弾む雰囲気などで、辛口や甘口、匂いクセなどが好みになって来るのであろう。ワインの場合は、その薀蓄を語る人もあるがそのお酒が生まれる風土を感じる楽しみはあるが、私は聞き流す程度である。
さて、大分県国東の取材でお寺に泊めて頂いたときドブ酒を飲まされることがしばしばあった。戦後のヤミ市では何とも判らない醸造酒や粗製アルコール或いは濁酒を蒸留した密造酒(カストリ)などが出まわっていたことを聞いたこともあって、甘酒とは違った、ちょっと酸っぱいそのドブ酒を、なんぎ難儀で頂きながら和尚の話を聞いたものだ。
もともと焼酎は、場末の縄のれんを潜り「焼酎一杯」と注文する「癖のある安い酒」というのが先入観で、事実、その原料によって甘藷焼酎・そば焼酎・麦焼酎などがあって、特に芋による薩摩焼酎の匂いは強く、下関ではあまり好きになれなかったが、鹿児島の現地で郷土料理と一緒に芋焼酎を頂いたときは、なんと美味しい味だったのに驚いたことがある。ところで、球磨地方に産する米焼酎は原料銘でなく産地名で「球磨焼酎」と呼ばれている。フランスのコニャックは、コニャック地方で産するブランデーに限ってコニャックと呼ばれているのと同じある。球磨焼酎は、400年前から米を原料にしている日本独特のブランデーと言っても良い。
私が、癖のない球磨焼酎を知ったのは球磨川と落人集落を訪ねたころである。後に会社の同僚たちが社員旅行の縁で球磨盆地周辺に散在する酒蔵32業者70数銘柄を訪ねたことに感激し、後に「ラベル」を張った『球磨焼酎のみある木』をいう50部限定の本を作るお手伝いもした。それ以来、球磨焼酎のフアンになっている。
人吉盆地一帯は、相良藩2万2千石だが実質10万石とも呼ばれる。この地の厳しさ、今でも水害常習地だが、球磨川の急流を遡ってようやく人吉にたどり着いた幕府の検地役人は、それより東へ足を踏み入れることが無かった。人吉の大稲田はそこに広がり米の宝庫になった。藩ぐるみの稲作地域となり、余剰米での焼酎は自然の形で育ち相良藩の隠匿財産となった。ライン川流域をワイン・バレーと呼んでいるが、いわゆる「球磨川流域は焼酎バレー」と名付けた人(学習院大・加藤教授)があった。
当時、流通していた銘柄を少し六調子・武者返し・相良・鬼倒し・文蔵・白岳・繊月・清球などなど・・。焼酎ブームが始まった昭和30年代後半、少し遅れて球磨焼酎酒蔵組合は酒蔵32社の原酒をブレンドして、そのものずばり「球磨焼酎」のラベルを張って都会に送り出したが、たちまち年間20%台の伸びを見た人気上昇だった頃、関門北九州地方では話題になっても「球磨焼酎」は流通になく手に入らなかった。
記念品を語らなければならないのだが、何時、何故、何処で手に入れたのか「球磨のガラ(とっくり)とチョコ(猪口)が手元にある。ガラは球磨特有の徳利で注ぎ口が細い。これに対するチョコは直径が2㎝ほどの可愛らしいもので、ほんの一啜りで飲むことができるほどのものである。
球磨では、一杯注したらもう一杯となりそれから返杯の習慣がある。また球磨拳という酒宴の余興もあり、これは指の出し合いでの勝負で、あのチョコで焼酎を飲むのだが、いくら小さいとはいえ負けが過ぎるとすざまじいことになりそうだ。
このガラとチョコは使ったことも無く、焼酎はガラスコップでの水割りである。
写真は繊月酒造(旧・峰の露酒蔵)の酒蔵と球磨焼酎の酒器「ガラとチョコ」
