エヒメアヤメとミツガシワ | Issay's Essay

エヒメアヤメとミツガシワ

684 エヒメアヤメ(小串・左)とミツガシワ(勝山・中)と同(東行池・右)

 サクラの花が咲くころになると、今年も無事に咲くだろうかと思い出す花がある。
 その一つは、エヒメアヤメである。
 かれこれ40年ばかり前、防府市の知人が「ちょうどいい時に来た!今が見ごろだから」と、国の天然記念物で西の浦地区が自生南限地といわれるエヒメアヤメに仕事が終わってから案内された。すでに夕方だったが、柵の外側から背丈が10㎝ほどの小さな可憐な花が数か所あった印象が今でも微かに記憶にある。
 そのとき、この地の方々が永く保護されていたが3年位前に盗掘があって金網が巡らされたと聞いた。その後、自動車のマツダ工場進出があるというので、行政も地区の人々と共に、特にエヒメアヤメに関しての周辺環境保護に力がそそがれたと聞いている。
 エヒメアヤメは、アヤメ科の多年生草本で中国、朝鮮半島、日本でも寒い地方に多く北方系の植物で、氷河期に日本列島が大陸と陸続きであったことを証明するともいわれ、愛媛県に自生しているのを発見して牧野富太郎博士が命名したと言われている。
 根茎はやや扁平でやせ型、葉は線形で薄く葉の長さ10~15㎝、陽春を開花期として数㎝の高さの花軸に薄い紫色を咲かせる。
 「たれゆえそう」とも言われるそうだが、最近では、その南限地はえびの高原霧島盆地が追加指定され、佐賀県川久保ではエヒメアヤメ祭もあると聞く。
 我が下関市小串地区4か所に、エヒメアヤメの自生地として昭和5年(1930)に国の指定を受けていた。ところが、の場所は戦後の混乱期に管理が行き届かずその一部が絶滅して、平成3年(1991)にあらたに追加指定された嶽地区(面積748.8㎡)が最後の一か所として大切に保護されている。
 近くの下関市立小串小学校の校章は、エヒメアヤメがデザインされたもので、学校だよりは「えひめあやめ」という名称。その通信を見ると、この地区の専門家の方とともに現地の花を観察し、受粉や種子を採集して栽培などを学習活動の中に取り入れているようである。
 地方紙で、こうした活動をあまり見ることも無いが、時たま防府の観察会などの記事が出ると、それぞれの地域の方々が地道な活動が続けられているんだなぁと安堵している。
 もう一つの花はミツガシワである。三槲とも三柏とも書き、別名水半夏(ミズハンゲ)とも言い、これも氷河期の遺存植物と言われ北半球の主に寒冷地に分布し自生分布の南限は北九州地域といわれている。
 湿地や浅い水中に生え、地下茎は7~10㎜の円形で太く、横に伸ばして拡がる。葉は複葉で3小葉からなり、4~5月に花茎(20~40㎝)を延ばし、5裂して内面に白毛を密生した直径1~2㎝の白い花を下から上に向かって咲き総状に多数つける。この慎ましく誇らかに咲いて行く様子から花言葉は「私は表現する」となっている。
 幕末期に、長府藩主が急きょ居城を築いた下関市勝山地区に、現在は勝山御殿として整備保存された本丸跡などがあるが、その奥まった湿地帯にミツガシワが群生している。
 ここも、山口県には数か所しか残っていない貴重で絶滅が危惧されている(山口県では絶滅危惧IA類に指定)場所とされ、以前は盗掘などもあったことから金網の柵が施されていて、地区の「勝山三山を守る会」の方々がその管理もされている。
 ところが、このミツガシワは下関の吉田地区東行庵の東行池で絶滅どころか異常な増殖があって、初夏の風物として楽しめる場所になっているのも頼もしい。
 写真は、エヒメアヤメ(小串・左)とミツガシワ(勝山・中)と同(東行池・右)