常住のともしび | Issay's Essay

常住のともしび

674 兒玉波亭氏著『常住のともしび』と天草本『平家物語』現代訳本(左下)

 源平合戦最後の舞台が関門海峡であり、下関には源平に関しての史跡や行事も多いので、子どものころから、源平に関わる伝説なども各方面から聞かされていた。
 勿論、平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕はす。奢れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し」という文言も、しばしば耳にして、平家滅亡を諸行無常・因果応報といった世界観を感じ、平家伝説に関わる各地を訪問し、あるいは能や演劇、琵琶の演奏も聞いたりして、いかにも平家物語をかじった気分になっていたような自分を、今度こそ反省させられた本に出合った。
 『常住のともしび』(兒玉波亭著・文芸社刊)である。
 下関市の赤間神宮には、元国宝の『紙本墨書平家物語』(長門本平家物語:重要文化財)があり、これは先の世界大戦の昭和20年(1945)7月2日の空襲で被災し、それぞれのページは焼失した状況を残したまま全巻が修復されているが、平家滅亡、これを伝える平家物語の焼け跡、何とも戦の現実を伝える皮肉さえ感じる切実感がある。
 平家物語原本の成立は承久~仁治(1219~1243)ごろといわれ、散文体の叙事詩形式で平曲として琵琶法師によって語られ、早くから読み本・語り本など発生し、延慶本・長門本・源平盛衰記や覚一本・流布本など諸伝本がある。
 思えば私は、その中の何処かの部分を、然も粗筋として聞き覚えたに過ぎないようだ。
 この『常住のともしび』は、高橋貞一・校註『平家物語』(講談社)を底本として、多くの参考図書を読み比べながら、平家物語に登場する合戦の状況と、武人と女人の往生について考察がなされて行くのである。
 源平合戦については、源頼朝が平家追討に立ち上がり平家一門が壇の浦に滅ぶまでの約5年間に、源平両氏が軍を出して戦った出来事は17回あるとして、その合戦の様子を暦年的に平家物語要約として、いわゆる戦記物に描き、頼朝、義仲、義経は別に人物像を浮き彫りされている。
 この本での著書の主張は、むしろ後半の往生論にあり『源氏物語』が登場人物の生の煩悩の物語であるとすれば『平家物語』は登場する人物が死と対峙する「死の文学」ということが出来るとして考察が進む。
 著者はキリスト者であるが、日本人独特の無常観を底流に、仏教、信徒、あるいはキリスト教の信仰の対比をのぞかせながら、法然の広めた浄土教を基調として、日本人の抱く自然観と融合した信仰と死について、末法の時代の中における、それぞれの武士あるいは女人の死生観を描来つつも、無常の対応が常住であり「平家物語」の無常観は、その底に命の蠕動、常住の光明に感じられるとしている。
 この本になる切っ掛けは、著者が20年前に書かれていた原稿を、其の侭にしては勿ないと息子さんが立ち上がったことにある。すでに図書出版業者と製本の話が始まっていたとき、私にちらっと製本の話があり、その原稿の量に驚いた。内容が研究書のようでもあり論文にも受け取れる、これは活字ばかりでは、少し硬すぎるので途中に写真など挿入されたらどうか?と言っては見たが、すでに遅かった。
 「せいぜい4ページなら」と本屋さんが言うのです、どうにか「平家物語」紀行としてグラフが入り表紙も赤間神宮所蔵の壇の浦合戦図がデザインされた。
 著者は98歳、校正を三度、隅々まで読み返されたという丁寧で几帳面な本が出来上がった。息子さんによる親孝行の一冊が見事に完成した。
 ところで、織田信長から豊臣秀吉に変わったとき、禁教・バテレン追放が発令されて、イエズス会のコレジオは天草に避難し、ここで足掛け8年の間に30種以上の出版活動を行っている。その大半は宗教に関するものだが唯一文学書として「天草版平家物語」が製本され、それは直訳ではないとしても西洋に初めて紹介された日本文学となった。
 私は、400年を経た現在『常住のともしび』の著者が『平家物語』をテーマにされた因縁を不思議にも思っている。
 写真は兒玉波亭氏著『常住のともしび』と天草本『平家物語』現代訳本(左下)