旅の記念品(28)-五島(2)-2-「バラモン凧」
五島列島は、もともと上五島の宇久島を本拠にしていた宇久氏(平家盛=平忠盛の次男が文治3年〈1187〉に上陸)が勢力を張っていて、弘和3年=永徳3年(1383)に福江島岐宿に移り、さらに辰の口城(福江島上大津)から江川城(同島江川)に移った。第20代・宇久純玄が、秀吉の命で朝鮮に出兵した文禄5年(1592)に五島氏に改姓した。
藩の成立は、慶長8年(1603)初代藩主・五島玄雅(純玄の嗣子)が徳川家康に謁して1万5千余石の所領を認められてからである。この江川城が慶長19年(1614)に焼失した後は、築城が認められず石田陣屋(現在の石田城跡)の仮の館となっていた。
築城の許可が出たのは幕末の嘉永2年(1849)で、外国船が頻繁に来航するようになって、防備のための石田城(福江城とも記される)の重要性が増してからのことである。
城の完成は文久3年(1863)第11代・五島盛徳のとき、約15年、2万両、延べ2万人を要して、ようやく日本初の海城が日本で最も新しく完成した。二の丸跡には庭園も現存している。
この城は、完成後5年で明治維新となり城は解体され、その後本丸跡には長崎県立五島中学校(現在の五島高校)が建設された。港に近い市街の中心地に福江城跡と城下町、堀端や屋敷の石塀など和風情緒もたっぷりで、繁華街の五島海鮮グルメも楽しめる。
ところで、五島観光はバスの乗り継ぎではどうにもならない。五島では環境に優しい電気自動車(EV)のレンタカーが準備されている。五島観光なら「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として世界遺産登録(2018年)となった教会をと思うかもしれないが、150ばかりの島々に50ほどの教会はあるものの、福江島には遺産登録されたものはない。
しかし、ヨハネ五島を記念して建設された堂崎天主堂を始め、水之浦教会、井持浦天主堂を巡るだけでも禁教令以来の熾烈な弾圧に耐え信仰に貫いた信者の深い祈りの歴史が感じられる。もちろんこうしたキリシタンの島と思われているが、現実には人口の一割くらいで、寺院もある。明星院(吉田町)は、唐から帰朝した空海が延暦23年(804)に参篭して開創、五島家代々の祈願寺で、真言宗であり文化財もある。ほかの大円寺、大宝寺なども見逃せない。
空海といえば、岐宿郷魚津ヶ崎の白石湾は遣唐使国内最後の寄港地で、船を整備し、食料を補給し風待ちしたところである。近くの三井楽町には空海の遺徳を顕彰するため、自然石に「辞本涯」と深堀した見事な碑が建っている。
さて、日本列島の最西端に位置する大瀬崎断崖は九州一の男性的な景観と言われ、高さ150m、約20㎞にも及ぶ海蝕断崖が連なり突端に白亜の灯台がある。地元の方の話では「本土から出征する兵士たちはこの断崖を見て思わず敬礼したそうですよ!」と言われていた。福江島の西海岸線は“本土最後の感慨が湧くのだろう”
五島では「バラモン凧」という民芸品が作られている。「バラモン」とは、五島の方言で荒々しく向こう見ずという意味があるそうで、絵柄は鬼が真正面から兜を加えこんだ姿である。敵に後姿を見せない勇者の姿を表現しているという。
また、絵柄の中にはクルスの形があり隠れキリシタンの島、或いは八幡船の基地としての歴史を感じさせる興味もある。男の子の初節句(旧3月3日)に、空高く揚げて厄を払い無事成長と立身出世・家内安全を祈願していたという。実際には、凧の上部に弓状の「うなり」をつけて風を切る独特の音を発するようになっている。
現在は、福江空港の近く、全山芝生(3年に一度山焼きがある)のなだらかで展望の良い鬼岳(315m)でたこ揚げ大会があるという。
余談だが、バラモン凧と壱岐鬼凧・平戸鬼洋蝶などには共通性があり、同じ長崎県長崎市に伝わる「凧」を、形状や図柄を見比べるだけでも、文化の違いを感じてしまう。
五島は、ロマンを秘めながらも、哀しい、美しい、そして優しく力強い島である。
写真は大瀬崎断崖の灯台とバラモン凧
