庭の一隅、ふと安野さんを
これと言って特別の庭でもないが、冬が近づくと石積側の石蕗(つわぶき)に鮮やかな黄色の花が咲く。紅葉には早く、これと言って目立つ花も無い時期なので、その黄色は一層人目を引くのである。
広辞苑には「キク科の常緑多年草。フキとは別属。暖地の海辺に自生。観賞用に栽培。葉は長枝があり、フキに似、厚くて光沢がある。初冬に60センチ位の花茎を出し黄色の頭花を房状に配列・・」などとある。葉っぱの光沢から艶蕗(つやぶき)を語源にする説があるとか。
10月晦日、衆議院選挙日は穏やかに開けて、その石蕗の花も葉も朝露にぬれ陽光をひときわ美しく反射しているように見えた。
ふと、津和野町を思い出したが、「津和野というのはツワブキが多いから」と言われているのだが、私は実際に津和野でツワブキの咲いているのを見たことない。土地の異説には、いたるところに野生している「ツバ」(チガヤの一種)に結びつけて地名を考えたと聞いたこともある。それも一理あるとして、津和野の人は「山間にツワブキがたくさん生える土地があって人は集まり、津和野という町になった。事実、その山の上に城が築かれ、その城を〝蕗城(ろじょう)″と呼び、その町に暮らす人は深い学問と雅びたものの中へ沈潜した。それはツワブキの常緑の葉と花の風格に似て根強く堪えて生きていた」という人もいる。
その町の人と言えば、森林太郎、西周両氏となるのだろうが、私は安野光雅氏を思い浮かべている。安野さんは、肝硬変で昨年12月24日に94歳で逝去されたことが、本年早々報道された。
安野さんは、山口県や東京都で教員生活をされていたが画家として独立し、昭和43年(1968)に絵本「不思議な絵」を発表。その後「さかさま」「算私語録」、欧州などを旅した「旅の絵本」シリーズや司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズに同行して挿絵を担当。さらに『平家物語』や『皇居の花』などの出版もある。
下関市立美術館での作品展も何度か行われ来館のたびに私もお会いした。
平成8年4月に『安野光雅―平家物語の世界―展』が平氏滅亡のゆかりの下関市立美術館で開催されたとき、彦島の小さなすし屋で安野さんを囲んで夜更けまで飲んだことがある。お話の途中「津和野は故郷だけど”鴎外まんじゅう”を作ろうなどと馬鹿なことをいうやつがいてね、そんなものを売り出したら、僕は故郷と思はないよ、もちろん山口は故郷みたいなもんで…」と笑いながらも、厳しい口調で、ふるさと話を持ち出されたことなどを印象深く記憶している。
さて、今日の衆議院選挙投票結果は如何なったであろうか。(自公で議席過半数確保)
写真は朝日に映えるツワブキの花と在りし日の安野光雅さん
