2020東京オリンピックを思う(2)-1
伝統的に「平和の祭典」と言われるオリンピック、政府やIOCは「安全安心」を唱えるばかりだったが、第32回夏季オリンピック東京大会は2021年(令和3年)7月23日、東京の国立競技場で開会式が行なわれ8月8日まで17日間の幕を開けた。
会場には富士山と太陽をイメージしたオブジェが置かれていた。
「多様性と調和」がテーマという開会式は、MISIAさんの君が代斉唱で国旗掲揚があり、次いで選手入場はギリシャの後「国名」の「あいうえお順」、北朝鮮を除く205ヶ国・地域と難民選手団の約1万1千人の選手参加で入場はかなり長い間続いた。最後尾に日本選手団が入場。郷土出身の卓球女子の石川佳純さんは副団長である。全33競技に史上最多の583選手の参加で、このうち約150人が行進。旗手はバスケットボール男子の八村塁とレスリング女子の須崎優依だった。
その後、グランド中央では様々にアトラクションが演じられ、そのうちに大きな色箱が運び込まれ右往左往の人は何をしようとしているのかと思っているうちに、あの配列の難しい大会エンブレムの形になり感心している間もなく、そのエンブレムの市松模様が1824基のドローンで競技場の上に現れ、これが地球のような球体になって東京の空に浮かんだ。この現代的な演出は圧巻だった。
橋本会長に続く、バッハ会長の長すぎた挨拶には一寸閉口。天皇陛下の開会宣言に次いで、ジャズっぽいピアノ演奏に調和して古典的な市川海老蔵さんによる「暫」が演じられ、これも迫力があった。
そして、オブジェの富士山と太陽が動き出して階段と花が開いた聖火台に変わった。
その正面階段下には、日本各地をめぐり受け継がれてきた聖火をかかげた大阪なおみさんが立っていた。聖火は、静かに階段を登ってゆき聖火台に灯された。
そのあと、3人のパントマイム演出で50種の競技マークが演じられたが、その変わり身の早さ上手さは印象深いものだった。
この開会式が、コロナ禍のため無観客というのがあまりにも勿体ないことだが、派手でもなく、素晴らしい企画で演出されたイベント、準備に携わった方々の努力に拍手を送りたい。無観客の祭典ともいえる開会式。その後の競技大会も無観客が原則である。
57年前、ブラウン管テレビが出始めたころ、あの青空(テレビはモノクロだった?)に自衛隊機が描いた五輪はいまだに眼に焼き付いている。そして大松監督率いる女子バレーの回転レシーブが強豪ロシアチームを下して金メダルを獲得、地元では近くに住んで居た花原勉君がグレコローマンで金メダルを獲得した思い出は何時までも消えない。昭和39年(1964年)のこの年は、6月に新潟震災で大変な被害を受けたばかりだったが、経済成長期にかかり戦後の復興を目指したオリンピックだった。私事だがグループSYSは初の写真展『秘められた国東』を開催し、長男・和晶が誕生したのもこの年だった。
今回、東日本大震災からの復興をという理念を掲げて、戦後2度目のオリンピック開催が決まったときの興奮と感激は何時しか薄らいで、新国立競技場建設計画の白紙撤回や大会エンブレムの再選定など幾多のトラブル続き、おまけに新型コロナウイルスはそれに輪をかけて社会経済を疲弊し、人々の不安や怒りが五輪開催の意義を根本から考えさせる世論まで招いた。しかし、コロナ禍拡大傾向の五里霧中の最中「東京五輪」は始まった。
写真は東京オリンピックの新聞とテレビ放映のコレクションから
