旅の記念品 21 -分福茶釜の文鎮-
思えば、長い人生の間に仕事での出張や写真の取材などで各所に出かけ、様々な見聞を経験した。そして何時しか、全国の都道府県で通過したことはあっても其処を目指して行ったことが無いのは、群馬県と山梨県だと思っていた。
それぞれに知人や友人もいるし、全く興味が無いわけでもないのに出掛けるチャンスが無かったのだが、「旅の記念品」シリーズを書いているある時、机の片隅にある「分福茶釜の文鎮」も記念品だなぁと思った。
私は、あちこちで「文鎮」を購入して日常使っているし、この文鎮も長さ13㎝、幅4㎝の大御通帳の上に分福茶釜が乗っかって持ちやすく座りも良いので重宝している。その記念品を思いついたとき、それを買ったのは、私の弟が連れて行ってくれた館林の茂林寺門前のお土産品だったが、確認してみると館林市は群馬県だったのだ。
弟は、学校を卒業するとすぐに関東圏の会社に就職し其処で所帯を持ち、住居を構えたのは埼玉県熊谷市であり、かれこれ半世紀以上を暮らしている。
弟の子供たちが、結婚するたびに出向いて、私たちも旧婚旅行を楽しんできたが、その都度、弟は近郊の史跡や観光地を案内してくれ、舘林市の茂林寺を訪ねたのは平成11年5月のことだった。夕方になっての訪問で、本物の分福茶釜拝観はかなわなかったが「ここがあの物語で有名な」と紹介され、総門から山門につづく参道には信楽焼の狸像がずらりと並んでいた記憶がある。
「分福茶釜」の物語は「館林にある茂林寺。茶の湯を趣味にするその茂林寺の和尚さんがある日、茶釜を買って寺に持ち帰えった。和尚が居眠りの最中に、その茶釜が頭やしっぽ、足を出したので小坊主たちがこれを見つけて大騒動。和尚はそんな話を信じなかったが、お湯をわかそうと茶釜を炉にかけると、狸はその熱さに耐えかね、ついに正体を現した。驚いた和尚は、これを買ってきた屑屋に売り戻した。
その夜、寺でさんざんな扱いをうけた狸は、屑屋にその不思議な姿をあらわし、自分は狸の化けた茶釜「ぶんぶく茶釜」だと名乗り、軽業や踊りの芸を人前でやるから助けてほしいと屑屋に持ちかけた。そして大夫の曲に合わせた見世物、綱渡りなどの茶釜の芸は人気を呼び、屑屋を大繁盛させた。その後、元の姿に戻れぬまま病気となり死んだ狸は、茂林寺で供養してもらって、その茶釜が寺の宝として安置された」というもの。
物語には諸説があって、曹洞宗、青龍山茂林寺(本尊・釈迦牟尼仏)縁起では「応永年間より代々仕えてきた老僧守鶴が、住職7世のとき千人法会で披露した無尽の茶釜が由来、いくらお湯を汲んでも湯が無くならなかった。その釜は福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と命名された。この茶釜を持っていたという守鶴は、10世住職のとき、ふと狸の姿を現してしまい、寺を去った」とある。(実際は羅漢の化現だったか?)
現存する茶釜は、容量1斗2升(21L)、周囲は4尺(約120㎝)、口径は8寸(約24㎝)で、一般の参拝者も有料で見学することができる。
改めて地図で確認してみると、弟が住んで居る熊谷市と舘林市(茂林寺)との距離は、直線距離で利根川を挟んで15㎞の所だった。その時、宇宙飛行士の向井千秋記念館なども紹介されたことなどを思い出したが、いずれも群馬県である。
今思えば、群馬県の南東部に突き出た部分、ツルの嘴と呼ばれているそうだが、タヌキのしっぽだったかも知れない。確かに群馬県の一部に立ち寄っていて、行っていない県は山梨県だけということになった。
写真は茂林寺参道の狸像群と分福茶釜文鎮
