鹿児島への旅(4)-2 | Issay's Essay

鹿児島への旅(4)-2

638 西大山駅と池田湖の光景

 薩摩半島の南端にある温泉地指宿市は、古来「湯豊宿(ゆほすき)」と呼ばれていた。鹿児島市から南へ約50㎞、東シナ海と鹿児島湾に面し、市域の中央部に池田湖がありその東側には鰻池。南西部東シナ海沿いに標高924mの開聞岳がある。
 砂蒸し温泉は有名だが、民宿にも立派な温泉があった。
 出発して先ず、山川漁港の道の駅に立ち寄った。山川湾は砂州によって外洋と区切られているため波が入りにくく、古くから港として利用され、江戸時代には「鶴の港」と呼ばれ、現在でも台風接近時などは避難港として利用されている。この港からは、対岸大隅半島の根占港にフェリーが就航して、いつかの兄弟旅行でも利用した港である。
 西郷隆盛が流罪となって、奄美大島及び徳之島に渡ったのもこの港だった。現在は港の東部が埋め立てられ冷凍施設や、魚肉の練り製品の施設などが建設されている。
 9時11分に、枕崎線西大山駅(九州本土JR最南端)に列車が来るというので寄ってみると、無人駅に2分遅れて登りの列車が開聞岳を背景にやって来た。乗降客ナシ。私たちだけがホームをうろうろしているばかり。駅周辺には花も植えられ黄色のポストやベル型の鐘などがあった。列車が出た後に親子連れの観光客が来られた、私たちにとっては列車は幸運だったが、この駅はその雰囲気だけでも充分に楽しめる場所だった。
 そして、薩摩半島最南端の長崎鼻岬へ。ここの景色は西方には海越しに開聞岳がそびえ,白い灯台もあって岬から望む風景は非常に美しい。竜宮神社も鎮座していたが、新しく浦島太郎の像が出来て、その周辺には願いごとを書いたホタテの殻がたくさんあった。駐車場から岬まで、数軒の土産物店が続いているが現存は閉店の店がある。
 一番先端の主が「現在は4軒になった」と話されたが、彼は「若いころ小野田の炭鉱が閉山してここに来た」と山口県に懐かしさがあったのか「観光客も減って店もいつまで持つか、ま頑張っていますがね」などと、いろいろと話しかけられた。
 池田湖の登り口にある枚聞神社の主祭神は天照大神。和同元年(708)の創建といわれ、もともとは開聞岳を神体とする山岳信仰に根差した神社である。外洋に面していることで古くから「航海神」としても崇められ、静かで荘厳な神社である。
 池田湖までは15分位、1月の終わり頃は菜の花が咲き華やぎもあるが、桜の終わったこの時期は寂しかった。それでも、指宿市の代表的な観光地を魅力的にと花壇の手入れに多くの方々が集まり活気のある明るい雰囲気に、市政の一端を見た思いだった。
 ここから枕崎市に向かうのだが、途中にあるのは川辺町・知覧町・頴娃(えい)町の3町が、平成19年(2007)12月1日に合併して発足した南九州市という総人口約3万3千人の新市で、読み仮名は「みなみきゅうしゅうし」9文字で日本最長。茶(知覧茶)の生産量は全国の市町村単位では日本一。
 この町で有名なのが、知覧特攻平和会館と知覧武家屋敷だが今回こちらは割愛した。
 枕崎市までの途中に、釜蓋神社(射楯兵主〈いたてつわものぬし〉神社・釜蓋大明神=祭神・素戔嗚尊)があり、古くから、武士道・勝負の神様で、厄除け開運にもご利益があって芸能人やスポーツ選手も訪れると、近来テレビでも紹介され人気があるというので寄ってみることにした。
 釜の蓋を頭に載せ、鳥居から拝殿まで落とさずに行くことが出来ると願いが叶うといい、神社の裏側は大海原と開聞岳を望む絶景ポイントの「希望の岬」と名付けられ、新しいパワーが湧き清浄な気を感じられる場所だというのである。
 平日ながら、次々に観光客いや参拝客があるのに一寸驚きだった。大小さまざまの釜蓋があり、それぞれが頭に載せては見るものの、これが滑り落ちてくる、真剣さと笑いのある社前。ふと、京都大原女や下関安岡の「かねり」を思い浮かべていた。
 写真は、西大山駅と池田湖の光景