旅の記念品20 -萬福寺魚梆文鎮- | Issay's Essay

旅の記念品20 -萬福寺魚梆文鎮-

635 萬福寺山門前に田上菊舎の句碑と魚梆文鎮

 京都宇治といえば先ず平等院である。私が2度目に宇治に向かったのは平成15年(2003)で、この時は名門カーフェリーだったので大阪南港から宇治西インタ-まで高速、途中で食事を済ませても平等院には午前8時前に到着。当然、開館と同時に入館した。
 資料を見ていると山形からの高校生、修学旅行の一群が通り過ぎ、鳳凰の展示された部屋でレンズ付きフイルムであろうか誰かがシャッターを切った。そのカメラは暗い場所ではフラッシュが点く、監視員の女性が「撮影禁止です」と大声で叫びその方向に走っていったようだが、誰だかは解からなかったかもしれない。
 レプリカでも良いから、文化財に親しめる(写真が撮れる)場所がほしいものだ。
 平等院は、帝釈天、十一面観音地蔵菩薩、別室の壁画「阿弥陀来迎図」も素晴らしいし、池の対岸から見る鳳凰堂(十円硬貨の絵柄)は、何時見ても美しい建物である。
 そして平等院のそばを流れる宇治川は、源平争乱のとき佐々木高綱と梶原景季が先陣争いをした場所であり見落とされない場所でもある。
 ところが、下関人として宇治といえばやはり訪ねておきたいのが黄檗山萬福寺である。
 「山門を出れば日本ぞ茶摘うた 菊舎」の句碑が三門前に建っている。「またやって来ましたよ」と呟くだけである。その年は下関出身の一世を風靡した美濃派の女流俳人・田上菊舎生誕250年だった。しかしここで何があるということも無く、この句碑に出会い、そして萬福寺に入るのである。
 萬福寺は、曹洞宗・臨済宗とともに日本の三禅宗の一つである黄檗宗の大本山で、中国福建省から招聘された隠元禅師が、承応3年(1654)30名の弟子とともに来日したときは63歳だった。万治元年(1660)隠元は将軍徳川家綱に拝謁、万治3年(1660)には幕府によって宇治に土地が与えられ、翌・寛文元年(1661)隠元は新寺を開創し黄檗山萬福寺と名付け、以来建立が続けられ延宝7年(1679)にほぼ完成するのだが、隠元はこれをまたず寛文13年(1673)世寿82歳で示寂された。(皇室から大光普照国師を宣下されている)
 隠元禅師は、日本に滞在中、仏教文化にとどまらずインゲン豆・スイカ・孟宗竹・レンコンを食生活に、また普茶料理も広めた。
 現在、約12万7千㎡(4万2千坪)の禅宗大寺院の境内は、回廊で囲まれた23棟の明朝建築様式の堂宇が左右対称に配置され、国内では数少ない中国情緒のある七堂伽藍であり、そのすべてが重要文化財に指定されている。
 三門をくぐると正面に天王殿、その奥に大雄宝殿(本堂)その奥に法堂と西から東に一直線上に並んでいる。
 天王殿には、弥勒菩薩の化身といわれる大きな金色の布袋像が中央に安置され、その背後には本尊と対峙するように韋駄天像が安置、大雄宝殿はチーク材を用いた寺内最大の建物で、本尊・釈迦牟尼仏像、脇侍に阿難と迦葉。さらに十八羅漢像を安置。書くと限がないが、黄檗のお経には鳴物(木魚・太鼓・鉦など)と合わせるものがあるそうで、その木魚の原型といわれる大きな魚梆(かいばん=ぎょほう=開梆・かいほう=魚鼓・ぎょこ)が回廊に吊るされている。これは時を知らせ、集会をかける合図に叩いて用いられる。
 説明書には、丸い木魚は魚梆の頭と尾を結んで円としたもので霊魂不滅の象徴として、仏教倫理の基本である「善因善果、悪因悪果」の因縁を表したものだが、これを鳴らした時の流れは再び返るものでは無く、一会一期なるがゆえに、伸びたままの形になっている。鯉に似た姿で玉をくわえているのは、私たちの人間の心になぞらえて、貪・瞋・痴の三毒(欲張り・立腹・愚痴)を表していて、三毒のない世界を即ち極楽浄土というと書かれていて、言いかえれば、この玉はあぶく(煩悩)、これを打ち鳴らすことで多少なりと三毒を浄化、煩悩から解放されるのだという。
 広い境内は、撮影自由、観光客も監視員もいない、しかし無作法は必然的に遠ざける雰囲気である、まさにここは穴場であろう。「正法眼蔵」その心理にたどり着くためには、自分自身の心に向き合うことというのが「黄檗宗」の教えとか・・・。
 寺を出るときは、もう一度、布袋様の前に行く。手を合わせ、心を鎮めると、大きなお口は煩悩を吸い込み、徳を授けて下さるというのである。
 田上菊舎は、寛政2年(1790)3月、初めてここを詣で、黄檗の見聞に耳目を驚かせ、たたずまいに酔いしれて三門を出たときに、思わず門前から里人の茶摘みうたが聞こえてきたのであろうか。彼女は文化12年(1815)にも再び参詣していて、文政9年(1826)享年74歳、長府にて死去した。
 「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」しみじみと日本を感じた一瞬だったかもしれない。
 新茶の時期、ふとこの俳句とともに萬福寺を思い出す。
 写真は萬福寺山門前に田上菊舎の句碑と魚梆文鎮