旅の記念品(9)-酒田の獅子頭文鎮- | Issay's Essay

旅の記念品(9)-酒田の獅子頭文鎮-

614 酒田の獅子頭文鎮(雄雌一対)と北前船を浮かべた公園の下関港標識

 山形県酒田市を訪問したのは平成19年(2007)である。すでに、北前船シリーズで酒田市を紹介したが、面積600平方キロメートル、人口は約12万人だった。庄内平野を蛇行する最上川の河口、庄内米の集積地、船運の要、港町として発展してきた町で、背後には標高2236mの鳥海山がそびえ、河口には冬になると1万羽を超す白鳥が飛来する。
 町中の日和山公園には、常夜灯や木製六角灯台が建ち、河村瑞賢の銅像や、西廻りの航路を示す広い庭園に、実物大2分の1という北前船の模型を浮かべた池があり、その下関を表した場所には「フクの絵と下関港」の標識があった。
 早い時期に自前の船で北前交易を始めた本間家は「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と俗用にまでうたわれるほどになった豪商、ここは撮影禁止だったのが印象に残っているが、ほかにも豪商・鐙屋などもあった。
 この町は、昭和51年(1976)10月29日夕方、映画館から出火して、当時26mを超す西風が吹いていて、炎は忽ち酒田の町を焼き尽くし翌朝降雨があったことも幸いして延焼を食い止め、22万5千㎡(22.5ha)を焼き鎮火させた。被害は1774棟を焼失、被災者3300人。一般市民に犠牲者は無かったが消防組合の消防庁1人の死者があった。因みに本間家は土塀を巡らした敷地に樹木が立ち並んでいて類焼を免れている。
 この酒田大火のあと、酒田市民は逞しく全市民揚げて復興活動にかかり、もちろん全国からの援助もあって、2年半後の山王祭(酒田祭り=5月19日~21日)には復興祭が行われ、その際に酒田獅子頭が復興のシンボルに選ばれた。
 獅子頭とは、獅子舞に使用する木製の獅子の頭部をかたどったもので、酒田では慶長から宝永、正徳年間ごろ奉納され一旦中断があったものの、最上川が度々氾濫することで安永年間に再興、災害・悪霊避けの象徴だったことから盛んに獅子舞の奉納があった。
 大火後の復興宣言以後、「全国から復興を支えてもらったことをわすねで、恩返しをしていかねばなんねで」例えそれが世代を超えたとしても、二度と災害を繰り返してはならないと市民が願った。そこで、大獅子頭(山王〈黒〉・日和〈赤〉)(松〈黒〉・桜〈赤〉)の4体、さらに平成10~11年に仔獅子(みなとくん〈黒〉・麻衣ちゃん〈赤〉)(海くん〈紺〉・小波ちゃん〈朱〉)の4体も誕生させて、その志を伝承するためにこれらのモニュメントを市内に登場させている。
 獅子頭文鎮は、酒田鋳造㈱が創作し、昭和62年(1987)に酒田市の一店一品運動推奨品として製作されたもので、耳の立った黒塗りの雄獅子(陽)と耳の垂れた赤塗りの雌獅子(陰)があって、たまたま買い求めたが、現在果たして製作されているかどうかはわからない。私は結構これを「錘」として利用している。
 写真は、酒田の獅子頭文鎮(雄雌一対)と北前船を浮かべた公園の下関港標識