下関・二基の灯台が重要文化財に | Issay's Essay

下関・二基の灯台が重要文化財に

611 出品作品六連島灯台現在の光源(左)と角島灯台

 すでに、このエッセーでは「日本遺産と呼ばれても」のシリーズで紹介済みの六連島灯台と、同じ下関市指定文化財の角島灯台を含む建造物15件を重要文化財に指定するように10月16日文部科学相に答申された。
 今回、六連島と角島灯台とともに部埼灯台(北九州市)、犬吠埼灯台(千葉県)の4基いずれも稼働しているが、現役の灯台が重文になるのは初めてのことで、所有者は海上保安庁、下関の2基の灯台は下関のシンボルであり大変な朗報だった。
 六連島、角島いずれも「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計で、六連島は慶応3年(1867)4月、江戸幕府が兵庫開港に伴う外国船の安全航行を確保するために英国公使と締結した大坂約定(大坂条約)で設置を約束された5灯台(友ヶ島、江埼、和田岬、六連島、部埼)の一つであり、明治新政府が事業を引き継いで建設され、ブラントンが築造の監督指導を行い白色塔形の石造、塔高(地上-塔頂)10.6m。灯火標高(海面)27.9m、閃光3,700カンデラ、光達距離12海里(約22㎞)、灯台の初点灯は明治4年(1871)11月21日(旧暦)だった。
 全国で最初に出来た洋式灯台の一つであり、関門海峡では、響灘の六連島と周防灘の部埼(明治5年1月22日初点)と関門海峡の東西2ヶ所での安全を確保する灯台が相次ぎ設置されたことになり、今回も歴史のある灯台として答申された。完成翌年の明治5年(1872)6月12日(新暦)には、明治天皇が九州巡幸に際し西郷隆盛らと六連島に来島し視察された。
 本州北西端の響灘から日本海に続く航海の難所に建つ、地上の高さ約30mの無塗装石造り(徳山みかげ)の美しい角島灯台は、現在、本土と角島架橋で結ばれた下関でも屈指の観光地角島の夢ヶ崎にあり、海上保安庁の参観事業(燈光会の管理)として、好天の日は観光客にも開放されている。
 日本海側では最初の灯台で、ブラントンの日本での最後の作品だけに少し傾斜をつけた側面と上部のシンプルなデザインそれに石肌の輝きがとにかく美しい。
 コロナ自粛が始まったころ、ふと下関市の文化財保護課の方から同行撮影の誘いを受けて、両灯台を見せて頂いていたので何時かはその写真の発表をと思っていたが、今回の答申の報道発表と同時に、早速、写真展を行うことを決めた。
 10月下旬から、写真の選択、引き伸ばしの発注、案内状の段取りなどと、小品展とはいえ、きりきり舞いとなった。会期は11月15日(日)から12月13日(日)、下関市内、南部町20-10(海響館前)のカフェレスト・デトロワでの開催。
 地元の灯台が、重要文化財指定となる喜びと祝福を記念すると同時に、航路標識に思いをはせ、その維持管理の重要さを感じて頂けたらとの思いを込めたもの。
 写真は、出品作品六連島灯台現在の光源(左)と角島灯台