父の日雑感
下関市細江町のバス停から、写友Sさんが乗って来てばったり会ったのはかれこれ2年ばかり前になるのだが、彼は長府在住でそれもまだ早い時間帯だったので「なんでこんな場所で?」と聞くと「日和山公園にお参りでした」との返事だった。
そういえば、Sさんのお父さんは関釜連絡船「崑崙丸」の乗員で、その船は昭和18年に潜水艦の魚雷攻撃で一瞬に沈没した犠牲者だったのを思い出した。「今日は慰霊祭があったんですか?」とまた聞き返すと「あの事件は10月5日ですが、私は月命日の5日には出来るだけお参りに来ています」と言われた。あの頃90歳位、小高い丘とは言っても標高50m、ちょっとためらう高さではある。あれから75年ほど前だとすればSさんは少年(15歳位?)の頃父を亡くされ、慰霊碑は昭和35年(1960)に建立されたものだが、父の面影を辿りながら過ごされ、碑にお参りされていたのである。
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』は主役が明智光秀だが、美濃の国の覇権争いで斎藤道三が主役のようだった。もっとも光秀に織田信長の信望を探らせて娘の帰蝶を嫁がし、ドラマの上では毎回光秀の出演はあるのだが、道三が嫡男・義龍に家督を継がせ稲葉城を譲ってから義龍は二人の弟を殺し、遂には父子の不和が顕現化して長良川の戦いとなる。信長の援軍は間に合わず、道三は戦死してしまう。と、そのうちに新型コロナの関係で大河ドラマは中断となってしまった。結局は道三の迫力のあるドラマチックな演技で戦国時代の相続或いは父子関係を考えさせる内容のまま中断『麒麟がくるまで待ってください』となってしまった。
今年6月5日、横田滋さんが87歳で亡くなった。昭和52年(1977)11月中学1年生だった長女・横田めぐみさんが下校中に失踪、約20年間は消息不明で、平成9年(1997)北朝鮮に拉致された疑いが浮上した。同年からは拉致被害者家族会の初代代表として、妻の早紀江さんと共にその救出活動の先頭にたち、平成19年(2070)に体調を崩されてから代表の交代はあったものの、突然に13歳のめぐみさんと絶たれてから42年間、彼女の生存を信じ続け拉致被害者の救出を訴え続けられた。あの活動の日々を思うとき、遂にめぐみさんとの再会ならず無念の逝去だった。
令和2年の今年も「父の日」がやって来た。「地震雷火事親父」というほど怖くも威厳も無い、唯々「老いたるを父とせよ」の平凡な自分であるが、有り難いことにTシャツなどに沿え「今年は実用的なもので・・」とことわって、麦茶や清涼飲料水、マスクなどがどっさりと送られてきた。それも使い捨てマスクだけではなく、冷感用のマスク、博多織のマスク、それに好物のどら焼きまで混じっていた。長男の嫁のメッセージには『こうして父の日の贈り物ができることを心から嬉しく思っています。‥‥』とあるのは、彼女の実父が今年2月に他界したことを思うとその心情に余りあるものを感じた。
そして快晴に恵まれたこの日夕刻は、太陽が欠けはじめまた復元する部分日蝕があった。その天体ショウを観察しながら、戦中戦後そして今は新型コロナ騒ぎなどと、大自然の様々な波にもまれながら生きていることの不思議、長い年月を生かされている喜びなどをしみじみ考えさせられた父の日だった。
写真は父に日に届いた贈り物と、部分日蝕を記録する弟のカメラ
