梅雨の晴れ間に-長府功山寺- | Issay's Essay

梅雨の晴れ間に-長府功山寺-

365 2年ぶりに姿を見せた功山寺山門

 今年の梅雨の前半は、南九州に大雨の警報が続いたが、下関地方はさほどの雨も降らず、7月に入って、その晴れ間に長府まで出かけてみた。雲間からの薄い陽光は、小さなスポットライトを海峡を照らして流れる。海峡沿いのバスの車窓はいつも飽きない。
 目的があるわけでもなく、下車してから街なかを功山寺まで歩くと、すでに数方庭(すほうてい=忌宮神社夏祭り)のポスターがそこここに見られ、八百屋さんには、野菜に混じってウリの篭盛りや鮮やかなキキョウの花などが並んでいて、いかにも郊外の城下町にふさわしい、やはり優しい風情だった。
 新博物館の工事も着実に進んでいる。コンクリート造り?の傾斜した屋根の上で塗装が施されていた。平屋建ての、頑丈で機密性を保つ構造物にするには、全面をコンクリートで固めなくてはならないとしても、環境になじむ形態としての屋根は瓦葺と聞いている。この上から改めて瓦屋根を施すのであろうか、これはちょっと意外な工程で不思議な風景だった。
 功山寺は、ここしばらく山門の改修工事で全面が覆われ塞がった感じだったので、参道からは敬遠していたが、今回は久しぶりに正門から入ってみた。
 石段を登った途端に正面が・・「ありゃ!明るい」。安永2年(1773)10代長府藩主・毛利匡芳が建立させた山門が見える、その向こうに国宝の本堂も見えている。
 広い参道脇の樹木はたくましく伸びて新緑もみずみずしく、風に揺れる木の葉が、きらきらと光をはじき返すでもないが、すがすがしい境内の雰囲気を取り戻していた。
 元治元年(1868)12月15日、高杉晋作が潜居中の三条実美ら五卿と訣別し反論統一の挙兵でくぐり向けた山門である。懐かしく、気分が良い。これが長府なんだよなぁ!
 入母屋造り、本瓦葺き。ほどよい反りが美しい。組み物や垂木の正面を向いた部分が白く塗られているのは復元の証かもしれない・・コントラスチックでリズム感があり、これにも美しさがあった。2年ぶりに壮麗な姿を現したのである。
 柱の「聯」にはまだ覆いがなされていて、はっきりと読めるようになったか?あるいは以前のままなのか?不明である。周辺は、いよいよ仕上げの作業中という雰囲気、山門の入り口の立ち入り禁止の柵は、まだ外ずされてはいない。 
 梅雨の晴れ間、ふとした散歩で見た二つの建物は、一寸した眼の保養だった。
 功山寺山門は、2日後の7月5日に落成式が行われ、報道に掲載されていた写真で見る柱の聯は白文字が鮮やかだった。
 写真は2年ぶりに姿を見せた功山寺山門