装飾古墳のこと(2)
熊本県立装飾古墳館(山鹿市鹿央町岩原3085)は、装飾古墳をテーマにした博物館で、岩原古墳群(史跡)に隣接した同じ丘陵に平成4年4月に開館されました。
本館の展示棟(鉄筋コンクリート造・延床面積約2100㎡)と、別館の実習室(鉄筋コンクリート造・延床面積683㎡)があり、安藤忠雄氏の設計となっています。館内には、チブサン古墳など熊本県の代表的な12基の装飾古墳の石室が、実物大のレプリカで配置されています。これは、実物を見るよりも明瞭に文様などの様子を間近かで見ることが出来ます。
装飾古墳の最初は、交錯する斜線の間に直弧文や円文・三角文などと古い時代は呪術性・宗教性が強く、古墳時代も後期になると靭・弓・刀・武具や船そして人物像・動物などとだんだん具体的な図案となります。
明日香の高松塚古墳の壁画は、天平美人を描いた具象的なものでしたが、山鹿のチブサン古墳の壁画は、まさに抽象画。その違いについて装飾古墳館の学芸員は「九州の古墳は5~6世紀ころのもので、明日香の場合は7~8世紀が主、古墳時代と呼んではいても仏教文化が入っていますから、精神文化が随分変っています。それに壁画の顔料なども違ったものになってきます」などと説明をされました。
山鹿市城字西福寺のチブサン古墳(史跡)は、前もって申し込みをすれば石室内部の見学も出来ます。
案内をされる方が古墳の近くにある石屋形説明用の模型(写真)の前で「あれは、何に見えますか?子供さんたちは鳥とかカッパなどと言いますが、大人の人はチブサン古墳の名称が先にあってか、お乳とか女の人だと言われます、そのことから“乳房とかお乳の神様”として信仰されています」と話されました。
時代の変化、とりわけ当時の人たちの「死」に対する恐れ、精神性や呪術的な要因のほかに、私は当時の九州人には社会的な世相不安や歴史的な背景が、装飾古墳には現れているのだと感じました。
現代社会の中で「装飾古墳の抽象画」を見ると、それぞれの装飾に案外、平成の世相を反映する空間恐怖を感じるかもしれません。
