吉野山へ(2) | Issay's Essay

吉野山へ(2)

Issay’s Essay-吉野山へ2

 吉野山は全山に広がる桜に因み、下千本とか中千本など四地区に分けられていますが、金峯山寺から尾根伝いに南下する自動車道で高度を上げ、中千本から上千本を越えて直線距離で4キロほど、曲がりくねった道を進み標高は500メートル位でしょうか、一帯は奥千本といわれる山奥に到着します。そこは桜というよりも吉野杉の大木のなかに金峯神社がありました。拝殿の屋根から、木漏れ日に輝くツララが下がり、山蔭にいくらか雪も残っていましたが寒さはさほど感じませんでした。
 境内の左奥には、追われる身となった源義経の隠棲の場所がありますが、拝殿の手前に「西行庵まで500メートル」と標識がありました。
 500メートルならと歩き始めましたが、その距離がこれほど辛いと感じたのは初めてでした。周辺は良く手入れが行き届いた吉野杉の林です。登りの続く杣道で、ときおり霜柱を踏む「サクサク」という快感の響きがあります。300mほど登ると尾根に出て、山上ヶ岳への路から分かれて今度は益々狭い旧坂道を下ります。足は霜柱を砕いて登ったせいか冷え切っているのに、身体は汗びっしょりに火照っているのです。こうして500メートルの難行苦行、後期高齢者、運動不足の私は、結構疲れてすでに限界に近い息づかいでした。修験道の足元にも及びません。僅か15分位だったでしょうかが「ホッカリ」とした南面の陽だまりに着きました。
 西行庵は、当然当時のものではありませんが、自然木を柱にした二間四方、前面の中央一間を開放にして、他は土壁、屋根は桧皮葺だったでしょうか。板張りの部屋中央に上品上生の西行像が据えて有りました。庵の近くに馬酔木の木、桜もあったようですが、ほとんどはカエデの高木で、今はすっかり落葉しているので明るいのですが、秋の紅葉は見事だろうなと想像するだけでした。
 西行が吉野に入ったのは、壇ノ浦で平家が滅亡する時期です。戦乱の世を避けて移り住んだのでしょうか。西行は吉野の桜を愛してしばしば訪れたともいいますが、物見遊山とも一寸違っていたようでした。


吉野山やがて出でじと思う身を花散りなばと人や待つらん
とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなき住居かな


 花が散った後も、岩根を枕に山の木の実を拾いながら禅定し、やがて熊野に移動していきます。
 庵の近くには、清水がほとばしり側に芭蕉の句碑も建っていました。