早春賦のときめき | Issay's Essay

早春賦のときめき


Issay’s Essay-早春賦のときめき

 木枯らしの厳しい年の瀬でした。なんとか新年を迎え、寒を過ぎ春が近付くと、やはり思い出し、つい口ずさむ歌があります。
 

♪春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 
時にあらずと 声も立てず

♪氷解け去り 葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく
    今日もきのうも 雪の空

 「早春賦」には、早く春が来て欲しいと心踊りときめく、希望をかき立てる喜びが「詩」の中に潜んでいるような気がします。
 世の中に、経済不況や就業率低下の波風が立っていても、新成人が誕生し、卒業、入学などと人生の節目がやって来て、当事者で無くっても「生きているって素敵だなあ」と思うのです。それは、生きていればこそ味わえる喜び、醍醐味でもあります。


♪春と聞かねば 知らでありしを 聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か


 「早春賦」は普通、3番のこの詩までは歌われませんが、そこには大きな詩の意味があるような気がします。知らないでいればそれですむものを、知ってしまったからは、という自覚を促す一節です。
 入学して学校に行く。卒業して社会人になる。成人式を迎える。結婚する。それぞれの節目に自覚するのです。「いかにせよとの」思い、自分を見つめ新生活への期待が膨らむ、その戸惑いと希望が『自分らしく良く生きる』を考え、そして自分の道を踏みだすことになるのです。
 この歌は、大分県臼杵市出身の吉丸一昌氏が信州安曇野で作詞し、中田章氏が作曲。『新作唱歌』に発表されて学校唱歌となり歌い継がれました。
 関門海峡は「東流西流」を繰り返し、日本には春夏秋冬の四季があります。
 「ときには、こんな自覚があっても良い」と、大自然が囁いているようです。