「お忌祭」
長門国の一の宮と呼ばれている住吉神社は、新羅から凱旋した神功皇后が住吉大神の荒魂をお祀りされたことに始まるといわれています。
朱塗りの太鼓橋を過ぎて石段を登ると、楼門、拝殿、本殿、それを取巻く社叢が、じつに荘厳で神秘的な空間にいざなってくれます。
それらは全てが国宝や重要文化財などの文化財に指定されています。
しかし、その空間を取巻く周辺の環境は、国道2号線、中国自動車縦貫道、JR山陽本線、山陽新幹線など交通網とともに、住宅化が進むにつれ学校やマンションなどが次々に出来て、お社はまさに喧騒のド真ん中の感じになりました。
仲哀天皇が香椎で崩御されたとき、妃の神功皇后が斎宮にワカメを供えて籠もった由来で、皇后にゆかりのある神社(下関では、住吉、忌宮、龍王、若宮、杜屋、吉永八幡)では、千数百年來受け継がれている祭事が行われます。
巷が忘年会などで賑わう年の瀬、師走12月7日の夜から15日の朝まで(上記の若宮以下は1月)、神社神域は注連縄をめぐらして外界からの交流を断ち、全神職は、社殿の中に籠もって秘祭を行うといいます。この間、町中にいる氏子は一切外出をひかえ、歌舞音曲はもとより、大声を出して談笑したり、大きな音を立てることさえも禁物。さらに、刃物、針仕事、野良仕事さえもしてはいけないとの禁忌を伴う掟のある「お忌祭」(おいみさい)が行われます。
この禁忌にふれると、目がつぶれ、石になるとのいい伝えがあります。
住吉神社から1キロばかり離れた勝谷の畑の中に「お斎石(おいみいし)」というのがありますが、この石について近くで畑仕事をしていたご婦人に聞くと「あの石は、向うにあったが鉄道が出来るときここに移したそうナ、お祭り(お忌祭)のとき、子どもを背負って洗濯をしていた婆さんが、巡見の神様に見つかって、馬の上から鞭で打たれたら石になってしもうた!可哀そうにナァ。私らも姑から“祭りのときゃァ洗濯は裏の方で分らんごとしいゃ”と言われたもんですィ・・」と話してくれました。
神社の近くには、「双水井」「にごり池」「和布刈の禁忌」などと、荒魂の尊厳を伝えるところが、まだまだ息づいています。
