お亀イチョウ二世 | Issay's Essay

お亀イチョウ二世

43お亀イチョウ

 正円寺のイチョウのほかにも下関市内には、長府の忌宮神社、彦島福浦の金刀比羅宮、細江町の光明寺、蒲生野の竹生寺などに立派なイチョウの樹がありますが、ここでは悲しい物語を秘めた中之町の亀山八幡宮境内の「お亀イチョウ二世」の伝説にふれましょう。
 亀山八幡宮の土地は小島でしたが、およそ500年位前に埋立てられました。
 その工事を始めたとき、潮の流れが激しいうえに時化続きで怪我人が続出して、一向に仕事は進まず投げ出すことも出来ずに役人は困り果てたとき、町では「神様のお怒りだ」と噂されるようになりました。
 とうとう役人は人柱を立てることを決め、さっそくその「高札」を立てました。自分からこんな馬鹿げた募集に応ずるものはいるはずもありません。ところが、ある晩のこと「私でよければ・・」といって番所を訪ねてきたのが稲荷町の遊女で、天然痘を患い顔にあばたのある「おかめ」という女性でした。
 お客に嫌われ主人には叱られるばかり借金もかさんで、生きる気力さえ無くなった時に、あの高札をみて「町の人達の役に立つのなら」と決心しての申し出でした、役人は感激して「おかめ」を人身御供にきめました。
 月明かりの急流が緩らいだ暗い海に、白い着物で合掌して進む「おかめ」の姿は、仏様を思わせる気高さがあって、見守る人々は念仏を唱え続けたといいます。「おかめ」が海底に沈んだ翌日から、不思議なことに時化はピタリと治まって工事は順調に進んだといいます。
 人々は「おかめ」の功績を讃えて供養に「イチョウ」の木を植え「お亀イチョウ」と呼びました。大きくなったその樹に実るギンナンの表面には、なぜかアバタに似た斑点がありました。
 イチョウは、火災をくい止めるといいますが、さすがに第二次世界大戦の業火を防ぎきれず、焼け残った樹からの新芽が現在の大樹に育っています。やはり斑点の有る実を付けていると言われます。
 イチョウは「銀杏」とも「公孫樹」とも書きます。
 「公のなす種は、孫子の時代に実を結ぶ」ということです、せわしない世代、悠然と時代を見つめたいものです。