石柱溪の観音様 | Issay's Essay

石柱溪の観音様

41石柱

 下関市の北部に当る華山、狗留孫山は古くから霊山として崇拝されていますが、木屋川を堰き止めてできた豊田湖一帯を含めた景観地は、豊田県立自然公園に指定されています。
 その中でも特に木屋川の支流・白根川の上流、延長約二キロは、大小数十の飛瀑があってドウドウ川と呼ばれていた渓谷、石柱溪があります。岩石は三塁紀の石英斑岩で、径20センチ位の4~6角の断面をもつ直立した柱状節理でなっています。
 嘉永3年(1850)萩に生れた日本画家の高島北海は、フランス留学中にエミール・ガレらとの交流がありアールヌーヴォー運動にも影響したといわれますが、長門峡、石柱溪の名付け親でもあり、その渓谷美を世に広めました。
 大正時代末期、地元の山崎医師の案内でここを訪ねた北海は、その探勝道の開発にも一役買ったといわれていますが、横山健堂は「高島北海翁の命名は頗る佳い、一言にしてこの渓谷美の本領を尽くしていて、小規模ながらまさに天下無二」と絶賛しています。
 北海が公表した翌年の大正15年に、名勝並びに天然記念物の指定を受けました。
 渓谷には「相思の滝」「薬研の滝」などと名付けた多くの滝がありますが、奥のほうにある「北海の滝」「閑山の滝」などは高さが5メートル位でもっとも景勝の滝です。近くに悲恋物語の伝わる、お通淵、万作淵があります。
 それは『田草を取っていた土地の娘・お通が、旅を急いでいた毛利家臣の若侍・衣笠万作衛門の袴の裾を泥で汚したのが縁で、深い仲となってしまいました。ところが、身分の違い過ぎる叶わぬ恋だと思ったお通は、泣き通したあげくに、石柱溪の連理の滝に身を投じました。これを知った万作衛門も腹横一文字に掻き切って、閑山の滝にお通の後を追った』というもので、後に2人の霊を慰めるため「相思の滝」近くに観音様を祀ったといいます。