赤崎南条踊り | Issay's Essay

赤崎南条踊り

31赤崎南条踊り

 最近は、「青海島」よりも「金子みすゞ」や「焼き鳥の町」として有名になっている長門市ですが、江戸時代に築かれた日本に唯一つの円形楽桟敷があるのをご存知でしょうか。
 長門市役所から南に約500mの深川小学校に隣接する丘に、赤崎神社がありますが、ここは近くの飯山八幡宮の境外末社で毎年9月10日の例祭には、神社の桟敷を利用して、楽踊りと南条踊りが奉納されます。いずれも山口県の無形文化財に指定されています。
 先ずこの楽踊りについて、飯山八幡宮の社伝によれば「慶長5年(1592)の深川村内(現・長門市)に、牛馬の悪疫が大流行して、たちまち380頭が死ぬという惨状があり、牛馬の守護神を祀る赤崎神社に悪疫退散と平癒安全祈願をしたところ願いが叶い、村内では各集落ごとに神恩奉謝の楽踊りを奉納することになった」とあります。
 以前は「赤崎の七楽」といって、今に伝わる「月の前の怜楽」「虎の子渡し」「南条踊り」の他に「獅子の胴入り」「華表潜り」「鶏頭」の楽と「芝居」が奉納されていたようです。
こうした楽踊りは、田植神事の田楽舞、虫送り神事、念仏踊りなどから派生したもので、頭屋、法螺貝、鉦叩き、警護、団扇使い、杖使いなどの役のほか、ここでは胴取りが、華麗な花飾りを頭につけ、太鼓を叩きながら飛び跳ね乱舞するのです。
 また湯本南条踊りは、戦国の天正年間、吉川元春が伯耆の羽衣石城(うえしじょう・鳥取県東郷町)の南條元続(もとつぐ)を攻めたとき、人質が伝えた南條家の踊りを利用し、数10人の踊り子を仕立てて城に入り攻略に成功したという故事を持つ豪壮華麗な武略の踊りです。現在、岩国市では安芸国新庄から吉川氏が伝えた南条踊りがあり、長門市の場合は江戸時代に吉川氏から許されて俵山に伝えられたものが、湯本に伝授され奉納されるようになったものです。
 さて、この奉納芸能の観覧席となっているのが赤崎神社楽桟敷で有形民俗文化財に指定されています。これは、神社西側の「すり鉢状の谷」を巧に利用して、石積みの野外円形劇場にしたもので、総面積は約1,600㎡といいます。
昭和37年(1962)の第18回山口国体で、ここに相撲会場が設営されることになり楽桟敷が潰される危機がありました。これに対して民間から保存運動が起こり、桟敷の一部は壊れたものの、ほぼ全容が保存された経緯があります。
 江戸時代から営々と楽踊りに利用され、建築史、演劇史、民俗学などからも貴重な遺産「楽桟敷」は、民衆の祈りが伝わってくる「空間」として、現在も市民に守られ親しまれています。