数方庭の興奮
チャントト、チャントト、ホイホイホイ・・・
太鼓と鉦の音のリズムが宵の城下町に響いてくると、もう体がじっとしていません。古くから「長府の華」「天下の奇祭」と言われている長府忌宮神社の数方庭行事のお囃子です。忌宮神社の例祭の中でも重要な神事の一つで、山口県の無形民俗文化財に指定されています。
忌宮神社は、仲哀天皇が西暦193年、穴門の豊浦津に豊浦宮を造営されたところといわれています。
仲哀天皇7年7月7日、九州の熊襲を煽動して、新羅軍が、豊浦の皇宮に攻め寄せたとき敵の首領・塵輪(じんりん)を、帝は自らの弓で射斃されると、賊軍、色を失って退散。
この勝利に皇軍は矛を立て刀をかざして鬨の声をあげ、人々は旗を振って塵輪の骸の周囲を踊り舞ったと言います。塵輪の首は、土中に埋め、その上に大きな石で覆いました。塵輪の顔が鬼のように見えたことから、その石を鬼石と呼ぶようになったと伝えています。その後、神功皇后の三韓ご出陣や凱旋の際に鬼石の周囲で舞技を行ったといわれ、これが数方庭の起源とされています。数方庭(スホウティ)は、スホーデイ、スホーデン、スッポウディなどと呼ばれ、数宝庭、数方勢などの当て字もあるようです。
長府3代藩主・綱元のとき、矛や刀は幟棹や切籠の変ったようですが、現在まで町家の心をこめた協賛行事として受け継がれてきました。
8月7日から13日まで、毎夕7時半に1番太鼓があがって鬼石に据えられると、笹飾りの切籠を持った女児や、鉢巻に御幣をさした男児が親に連れられて鬼石を廻ります。ササの葉擦れの音が心地よく和やかで優しいひとときが流れます。
一瞬、静寂を破って太鼓の音。庭は小幟をかざした子供や、中幟を持つ中学生たちの舞台に変り、このころから鉦や太鼓の囃子に合わせて調子をとりながら回るようになります。夜空に竿先の旗が「ホイホイ」の掛け声と一緒に舞うのです。やがてそれは大幟に取って代わり、中には長さが30メートル、重さは100キロもある大矢(長府では大幟のことを大矢と呼んでいます)を、腰帯にひっかけてバランスをとりながらベテランの大人たちの登場になります。広庭は、まさに勇壮な世界、クライマックスを迎えますが、上空には風もあり、中には元気だけの新人さんも居たりで、時に、バランスを崩して大矢が倒れることもあるので、観客も安閑としてただ見入るばかりではおれないスリルもあります。この一連が約30分、神社正面には次の太鼓がまた登り始めます。こうして、金屋組と総社組が交互で1日4回の、楽庭を務めます。
まさに、典雅壮観、剛軟対照。夏ふるさとの本物の祭、興奮のルツボに感じ入るのも良いかと思います。