芳一まつり
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色・・・」
平氏の繁栄と没落を語る『平家物語』は、琵琶法師たちにより語り継がれてきましたが、中でも、源平最後の合戦は珠玉の場面として登場します。
「寿永4年(1185)3月25日、関門海峡の潮の流れは西流に変り、この時を待っていたかのように攻撃を開始した源氏からは、いっせいに水子・梶取を狙って矢を放つなど、こうした奇襲と急潮に、平氏は遂に安徳幼帝とともに壇ノ浦に滅亡しました」
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、下関の阿弥陀寺(現在の赤間神宮)を舞台に、大要次のような『怪談・耳なし芳一』を書いています。
《おどすような低く重々しい侍の声に、連れて行かれた芳一は、琵琶をたくみに弾き、声張りあげて、いたたましい海戦のくだりをうたいました。ほめそやす声、すすり泣き、そしてもの狂わしげな泣声が芳一を囲んでいました。
翌日も。又翌日も。夜毎の外出を不審に思った和尚は、ある日、芳一の胸や背中、四肢、頭、足の裏まで般若心経を書き付けて、座禅したまま口をきかないように申しつけて出かけました。「芳一、芳一よ」何時ものように、荒々しい迎えの声。返事がない。ところが闇の空間に耳が二つ。「わが君に、証しとしてこの耳を届けよう」鉄のような爪で耳はもぎ取られましたが、彼は声を立てなかったのです。・・・寺に帰った和尚は、血に染まった芳一に気づきました。「何と可哀そうなことをした。耳にだけ経を書きもらした私の手抜かりを許してくれ。しかし、もう亡霊に悩まされることはないぞ、傷口を早く治さなければ」・・・》
琵琶法師・芳一の名は、一躍有名になったということです。
赤間神宮には、七盛塚の前に「芳一の木像」(押田正男制作)を安置する「芳一堂」があり、毎年7月15日には、安徳帝を祭る神前で、芳一を供養する「芳一まつり」が行われ、暮れなずむ境内に筑前琵琶の演奏などが奉納されます。