平家一門の霊気漂う七盛塚 | Issay's Essay

平家一門の霊気漂う七盛塚

七盛塚

森鴎外の『小倉日記』明治34年9月24日の項を見ると、馬関病院の帰途安徳帝陵を拝した後、平氏諸公(七盛塚)の墓碑を看て板碑の大きさや文字まで丹念に書き写した記述があります。さすがに鴎外の「歴史への感心の深さ観察の細やかさ」を感じることが出来ます。

この七盛塚は、初夏を彩る関門海峡最大の絢爛豪華な祭典で知られる「先帝祭」が行われる下関市阿弥陀寺町の赤間神宮境内にあります。艶やかな賑わいを見せる拝殿から、左に宝物殿を横目に進むと芳一堂があって、その奥に、幽邃の世界を想わせる静寂な一角に「平家一門の墓」があります。

ここが平家伝説を秘め、平家一門の霊を鎮める墓標のならぶ七盛塚です。

天明年間(1781-89)のこと、関門海峡は嵐が続いて、九州への往来船や漁船の遭難が相次いで、商人も猟師たちも困り果てていました。

ある夜、漁師たちが荒れ狂う暗い海に、泣き叫ぶ男女の声を聞ききつけたのです。闇を透かしてみると、そこには“成仏出来ずにいる沢山の平家武者や官女たちの亡霊が彷徨っている”のを見ました。「この災難は平家一族怨念のたたり」だと気付いた漁師たちは、それまで見向きもせずに荒れ放題になっていた「紅石山の平家の墓」を、阿弥陀寺の一ヶ所にまとめて、手厚く供養したところ、翌日から嵐は嘘のように静まったといいます。

墓標には、前列右から(平)有盛、清経、資盛、教経、経盛、知盛、教盛。後列は徳門、忠光、景継、景俊、盛継、忠房、二位の文字が刻まれ、盛のつくのは6基しかありませんが「七盛塚」と呼ばれているのです。

そこは今でも、うしろに累積する五輪塔とともに平家一門痛恨の執念を感じる怪しい雰囲気が漂っています。

 一角に、ひっそりと高浜虚子の「七盛の墓包み降る椎の雨」と刻まれた句碑が建っています。