軽薄な言葉が飛び交う社会。 | かんみろぐ

かんみろぐ

ファミコン世代の現役高校生という謎の属性を持つちょっぴりヲタクな
UMA甘味堂という人物のどたばた日常記録という名前の日記。
+ポタリング記録とさいたま市某区の空記録がメイン?

最近、社会的影響力の大きい大学教授や官僚までもが一般人(地位の低い側)に対して「軽薄な言葉」「軽薄な行動」が許される空気になってしまった社会にまで日本という国は落ちてしまったのではなかろうか?と思えてくる。

関関同立の関西学院大学(上ヶ原C)社会学部の金教授が一般人を恫喝したのであった。
事の始まりは東京大行進。

詳しくはこのまとめを見ていただきたい。
いえ、あなたの言葉が軽すぎるのです。 http://togetter.com/li/567340

「いえ、貴方の言葉が軽すぎるのです」

このまとめのタイトルは教授が一般女性に放ったものである。

大学教授たるものが、なんて軽薄な言葉を吐いたのだろう。と私は思った。
その上、以前の金教授はこんな軽薄な言葉を吐くような人ではなかったのだ。

The school motto of Kwansei Gakuin is "Mastery for Service."

私は、他大学(高校)所属にもかかわらず関西学院の"Mastery for Service."(奉仕のための練達)を気に入ってる人間である故に余計にこの教授の行動には愕然としてしまったのである。

こんな感じの言葉を私は彼に投げたぐらいだ。
"Mastery for Service."(奉仕のための練達)をK.Gの教授たる地位の人が忘れてどうするのですか?と…

大体、職業や立場によって「言葉の重い・軽い」があるのだろうか?

私は、「軽薄な言葉」ならあると思う。

だけれど、職業によっての一個人の言葉に軽い重いは無いと思う。

例えば
自称スポーツジャーナリスト、乙武氏も、「軽薄な言葉」「軽薄な行動」が火種になったことがあるわけで。

それに、官僚だって、Twitterで復興庁な人が被災者に対する「軽薄な言葉」で傷つけてしまってたり、他にも被災地に対する「軽薄な言葉」をブログに上げるという「軽薄な行動」が炎上したりね。

政治家(と言うか元弁護士)で毎日Twitterで「軽薄な言葉」を投げて、(市内が災害の非常事態にも関わらず)市政を放置し、延々と別の選挙のツイートをし続けたドッチラケになるような「軽薄な行動」だけが目立つ人もいる。

ただ「職業」としての重みというか「社会的責任」は伴うとは私は思うし、そう感じている。
職業として特に言葉が重たくなるのは「ジャーナリスト」「ライター」「研究者」「政治家」「官僚」であると私は思う。

この「ジャーナリスト」「ライター」「研究者」「政治家」「官僚」の立場として第一線にいる人々の「軽薄な言葉」「軽薄な行動」が目立つ。

今や誰もが「ある意味」ライターなりえるのではないか?

大人達、しかも社会的責任の高い立場の人達が「軽薄な言葉」「軽薄な行動」をしてたら子ども達や若者達も真似してしまうのではなかろうか?

大人から「軽薄な言葉」「軽薄な行動」を学んでしまう社会が構成されつつある今の状態を、私はライターのひとりとして恐ろしく思う。


ちなみに、中国の北京航空航天大学のルイ・ファンさんは仲間達たちと「オンライン上でどの感情が人々の共感を多く得ているのか?」について、中国で最も利用者の多いWeiboというTwitterに似たSNSを調査を行った結果、ソーシャルネットワーク上で最も影響力のある感情は「怒り」であったとされる調査結果もあります。
http://gigazine.net/news/20130917-sns-infiuential-emotions/