一度外国で暮らしてみたかった  第三話 カナタ韓国語学院 | パドックに魅せられて

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第三話に入る前に、第二話で書いた「下宿(ハスク)」について少し追記しておきます。これはもちろん日本語では〈げしゅく〉と読みますが、韓国語では(ハスク)と読みます。コメントをくれたHさんの「下宿はホームステイ?」に少し驚いてしまいました。ひょっとしたら、もう日本では、下宿は死語になりつつあるのかもしれません。1960年以前なら、日本にもまだ下宿は残っていたと思うのですが、いまはなくなってしまいましたね。下宿とは、一般家庭に世話になるホームステイとは違って、学生に食事付きで部屋を貸すシステムのことです。確かにこれだけだとホームステイと変わらないのですが、下宿は独り者のおばさんが、それを商売にして、貧乏学生に部屋を貸していたイメージがありますよね。たぶん昔はパンツまで洗ってくれていたんだと思いますよ。しかし、韓国には、いまもこの下宿が当たり前のように残っています。大学のある街に限ってなのですがゴロゴロ点在しています。韓国では、ソウルの大学に入るのが目標なので、地方から来ている学生もいっぱいいます。ですから、寮のような間取りで、二食付きでひと月35~45万ウォンぐらいの下宿は、学生にとって無くてはならないものです。近年、日本人をはじめとする外国人の留学生が増えて、この下宿を外国人にも貸すようになって来ました。私のいた新村(シンチョン)の下宿は、日本人が特に多い街だったせいか、半分ぐらいが日本人でしたね。下宿生活は多少煩わしい面もありますが、なかなか楽しい暮らしでした。また、機会があったら、韓国で下宿暮らししてみたいですね。

さて、1999年4月末、ソウルの新村(シンチョン)で下宿暮らしを始めた私は、5月に入って、いよいよ学校に行く初日を迎えました。私の通ったカナタ韓国語学院は、新村(シンチョン)から地下鉄で一つの弘大入口(ホンデイプク)から歩いてすぐのところにありました。最初は地下鉄で行っていましたが、下宿から直接歩いても25分ぐらいでしたので、ほとんど歩いて通っていました。

学校に着くとクラス分けが張り出されていました。それを少しワクワクしながら覗き込みます。私は一番初歩のクラス=1級からのスタートです。クラスは6級まであって、2ヶ月で一つの級が終了し、試験に合格すれば次の級に進級できます。一つの級は前期・後期に分かれていて、そこでまたクラス分けがあり、担当の先生も変わります。先生は全員女性です。ほとんどが大学院まで行った優秀な先生ばかりのようでした。私の最初のクラスの先生はH・H先生(ソンセンニム)でした。クラスメートは5人くらいいたのでしょうか?覚えているのはニュージーランドに英語留学していたという若い女性、日本大使館の外交官の奥さん、ドイツ人の男性…などでした。授業は、最初はもちろん、アヤオヨ(日本語のあいうえお)からです。韓国語の音は日本語とよく似ていますが、日本人に難しいのは、〈オ〉と〈ウ〉です。韓国語ではこれが二種類づつあるのです。口を大きく開けた〈オ〉と口を小さく尖がらせた〈オ〉、口を横に広げた〈ウ〉と口を小さく尖がらせた〈ウ〉です。これがそれぞれ意味が違うのですから、日本人にはホントに厄介なのです。(同じオじゃないか、同じウじゃないか〉という頭がなかなか切り替わらないのですね。私は今でもこの発音が苦手です。今度もし留学することがあったら、この発音を徹底的に叩き込まないといけないと思っています。あと日本人に難しいのが〈ン〉です。これも三種類あって、Nと、INGと、Mの音です。これも、もちろん、それぞれ意味が違ってきます。あいまいな音の多い日本語を持つ日本人にとって、この韓国語の発音は一つの壁になります。とはいえ、文法的にも語順がほとんど同じ言語の韓国語は、漢字語が日本語以上に多いこともあって、学習しやすい外国語だと思います。

初日は、50分の授業3コマとも、ずっとこの〈アヤオヨ〉だったような気がします。教科書の第1課〈アンニョンハシムニカ?〉に入ったのかなァ…ちょっと覚えていませんが、やや退屈な授業でした。しかし授業はすべて韓国語で行われますし、緊張感と、高揚感で初日の授業は楽しく過ぎて行きました。「カガッピョ(アヤオヨ140音のことです〉をノートに3回書いて来なさい」とH・H先生から宿題を貰って、小学生が使うようなノートと教科書をリュックにしまった私は、小学生のように、スキップをするようなルンルン気分で、下宿へ向かって歩きました。


カナタ韓国語学院

http://www.ganadakorean.co.kr/jap/3_2top.htm