国際協定によって、コーヒーの新年度が始まるのが10月で、この日がコーヒーの年度始めとなります。さらに、日本では、秋冬期にコーヒーの需要が高くなることか ら、1983年に、全日本コーヒー協会によって、10月1日が「コーヒーの日」と定められ、2015年から国際コーヒー機関(ICO)により「国際コーヒーの日」とすることとされました。

以下HPより

そうなんだ。。。。

日本はコーヒーを飲む人多いですよね。

中国もこの数年急にコーヒーを飲む人が増えたようです。

2012年末、友達と天津・北京の旅ツアーに行った時、コーヒーが飲みたかったが、飲めなかった。

2013年9月から中国寧波で仕事をはじめ長期滞在をしたが、インスタントコーヒーはカルフールまで買いに行っていた。しかも、日本の倍以上の値段がだった。

初めて宿舎に入った翌朝、ホテルならコーヒーが飲めるだろうと、ホテルのラウンジに行った。コーヒーはあったが、妙に懐かしい甘いミルクコーヒーが出てきた。

アメリカンはしばらく飲めなかった。

その後も、寧波のマクドナルド、ケンタッキーはすべてミルクと砂糖入りインスタントコーヒーだった。

宿舎の意外と近くにカフェがあって、そこではミルクと砂糖が添えられてくるコーヒー豆から淹れたコーヒーだったが、お値段がお高い。一杯50元。これは、三日分の当時の食費(朝昼夜)にあたる。

日本からドリップコーヒーを持ってきて自分で淹れて飲むほかなかった。

が、2017年一度目の帰国前には甘いミルクティーに交じってアメリカンが飲める店が出てきた。しかも値段も20元くらいまで下がっていた。

それでも、マクドナルドもケンタッキーも寧波の店では甘い砂糖とミルク入りだった。ミルクと砂糖が別についてきて、10元で飲めるのは上海のマクドナルドだけだった。サンドイッチのsubwayでもコーヒーは置いていなかった。

2022年コロナ禍でも、外出ができるようになって寧波の町中に出ると、アメリカンコーヒーが普通にのめるようになっていた。スターバックスも店が増え、似たような店も町中にあふれていた。スタバの味も良くなってきたような気がする。近くのスーパーでも、コンビニでもインスタントコーヒーが買えた。値段は日本より少し高い。でも、物によっては同じような値段のものもあった。輸入雑貨店が増えていたこともあるかも。

日本でも子供の頃はコーヒーは大人の飲み物で、飲む習慣がなかった。

父方の祖父がコーヒー好きで、比較的早くからコーヒーを飲む習慣があったようだが、母方はその習慣はなく、せいぜいコーヒー牛乳だった。しかし、コーヒー牛乳だって当時は高かった。家を始末する時に父方の祖母の家計簿代わりのメモがあって、祖父が毎日飲むコーヒーとコーヒー牛乳の値段が恐ろしく高かった。いくらか忘れたが、外食のうどんの5倍くらいしていた。と、思う。メモに外食のうどん代もあった。

そんなことを覚えていたので、中国で、普段一日の食費を学生たちは15元と言った時、コーヒーの値段が4倍、と計算して日本と同じなんだと思ったのだ。その後、昭和の日本でも珈琲館がたくさんできて、その値段は安くなかった。学生時代でもコーヒーを頼む勇気はなかった。珈琲館でコーヒーを毎日飲んでいた友人もいたから(彼女は進学せず就職していたからお金があった)無理じゃない金額だったのだろうが。貧乏学生には高いと感じた。

今でも、コメダで飲めばそれなりの値段はする。地元の古い古い珈琲館では、ランチ定食くらいのお値段のコーヒーだ。そんなコーヒーは本当のコーヒー好きにのんでいただいて、カンコロはコンビニコーヒーで満足している。たまに飲む。

毎日飲んでいるのは、相棒が淹れてくれるコーヒーだ。スーパーで買った豆をひいたどこにでもあるコーヒーを相棒が淹れてくれる。それをポットに入れて一日何回かおいてくれてあるので、それを飲む。我が家ではアメリカンよりさらにアメリカンなので、水分補給くらい飲む。特にカンコロは冬よく飲む。温まるためにお湯かわりだ。

みんな、夜眠れる?と、聞く。眠れる。眠れるときはどんなにのんでも寝られるし、眠れない時は何も飲まなくても眠れない。そんなお年頃なのだ。と、思っている。

 

 

今も目の前にコーヒーの入ったポットが置いてある。

世界でただ一つ、相棒が淹れてくれるコーヒー。

 

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