9月11日は「公衆電話の日」です。1900年(明治33年)のこの日、東京の新橋駅と上野駅の駅構内に日本初の自動公衆電話が設置されたことに由来しています。

当時の公衆電話は、交換手を呼びだしてからお金を入れて相手に繋いでもらう「自動電話」と呼ばれるものでした。1925(大正14)年にダイヤル式の電話が登場し「公衆電話」と呼ばれるようになりました。

その後、携帯電話などの普及により1993年をピークに公衆電話の数は減少。現在は、災害時に携帯などと比べるとつながりやすいため、非常時の連絡手段としての役割も担っています。

以下HPより

昭和時代、街中、バス停付近、駅、いろんなところにあった公衆電話。

赤や、黄色や、緑や、ピンクもあったな。目に付くところにたくさんあった。

今では探すのに苦労する。最後に使ったのは?

23年前?2001年くらいかな?きっと。

場面は覚えている。三宮でものすごく久しぶりに小学校中学校合同同学年同窓会があった。小中一貫と言うわけではないが、珍しく小学校一つ分が中学校一つに収まっていた時期の卒業生なので、合同でできた。卒業後とても久しぶりだったので(あえて何年と言わない)、集まった人が多くて、会場が歩けないほど、びっちり埋まっていたのを覚えている。

で、名残惜しい同窓生は二次会へなだれ込もうとしていた。

まだ、神戸の実家が健在で、一次会が終わったら実家に帰って泊まる予定だった。

が、友人、知らない同窓生、含めて二次会へお誘いがあって、行くことに。

実家に連絡するのに、公衆電話を探し回った覚えがある。すでに携帯電話が普及しつつあり、同窓生たちもほとんど持っていたが、いなかっぺのカンコロは持っていなかった。公衆電話がない。と、探した。同窓生たちは、今時ないでしょ。と、言い、自分の携帯電話を差し出して、かけたらいいよ。と、言ってくれた。が、携帯電話のかけ方を知らなかった(笑)結局駅まで戻って駅員さんに聞いて、公衆電話にたどり着いた。それが、最後だったと思う。その後、遅ればせながら、ドコモの携帯電話を使い始めたので、その後は使っていない。買ったけど、その後5年くらい通話記録なしだった(笑)

で、さらにその前というと、1995年1月17日、阪神淡路大震災の日である。当日ではなかったかもしれないが、地震後自宅の電話がかけにくくなり、原チャリに乗って、公衆電話ボックスへ行き、そこで実家や友人に連絡をした。震災の中心だった神戸でも公衆電話は繋がった。カンコロ同様、他県へ移り住んだ友人にも久しぶりにというより、初めて、電話した。みんな情報が欲しかった。福井の友人とは、泣きながら長電話をしたと思う。

今でも、電話そのものは、有事が無ければ使うことはないが、無料で使えるLINEは非常に便利に使っている。←無料がポイントか?ケチだから。

家の固定電話ってこの年になるとかかってくるとろくなお知らせではない。だから、嫌い。でも、まだ置いてある。

家族の電話番号、覚えていません。でも、何かあったときのため、中国ではメモにして身に着けていました。今もメモはあるだろうけど、どこに置いたのやら?ですが。

覚えておけば、自分の携帯が使えなくても連絡はつけることができます。でも、覚えられないわ~自分の携帯電話番号も20年間覚えられず、最後に中国へ行く時に(コロナ禍何度登録するために入力したかおかげで覚えられました)覚えたくらいなので、まず無理です!!相棒もカンコロの電話番号も持ち始めから今まで変わっていません。20年間覚えられなかったのに、今更覚えられるわけがない。

 

家族の電話番号、覚えてる?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう