日付はこの頃に卒業式が各学校などで行われることから3月24日とした。学校時代の先生はもちろん、人生の中で師と仰ぎ「恩師」と呼べる人に、唱歌『仰げば尊し』の歌詞のような感謝の気持ちを込めて、お礼の手紙を書く日。恩師への感謝の思いを忘れることなく生きて行こうとの願いが込められている。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。 以下HPより
確かに卒業式が目白押しのこの時期、お世話になった先生にお礼を伝える。良い記念日かもしれない。
カンコロは中国に行って、教师节というものを知った。
何もしていないのに、プレゼントをいただいたり、学院の職員食堂ではメニューが豪華だったり、デザートにケーキが配られたりした。
今、自分のブログを検索したら、
教师节にちなんだ演奏会があったりした↓
↓こちらは職員食堂の事を書いたブログ。
9月10日でした。
今日の恩師の日はやっぱり日本の卒業式にちなんだものだからこの日なのか。
今だ3月卒業4月入学なのは日本くらい?
中国はアメリカなどと同様6月卒業、9月入学です。
9月入学と関係があるのか?中国の教师节。
思い出の先生は?
小学校6年生の時の先生。丁度お父さん年代の男性の先生だったが、体操が得意で、ユーモアがあり、子供一人一人をよく見てくださった先生だった。
人気のある先生だったので、先生のクラスになったときは、嬉しくてスキップをして家に帰った。と、思う。
家が小学校の近くだったことも、関係してか、非常に親近感があった。
一緒に登校し、一緒に給食を食べて、一緒に掃除をした。
たまにピアノで当時みんなが知っている曲を弾いてくださった。
いつも子供たちに囲まれた先生だった。
ある日、授業中、一人の男子が窓の外を指さして、
「〇〇君が、電信柱に登っている」と叫んだ。
先生は、教室から出ないようにと言いおいて、走って行かれた。
人気があるだけでなく、教師間でも信頼されていたのか、当時問題児と呼ばれる子供が多くクラスにいた。←カンコロも問題あったのか?
連れ戻された彼は、頭をポンポンとたたかれて席に着いた。その後二度と電信柱には登らなかった。
ある時は、理由はわからないが、どうやら悪いことをしたらしい悪ガキ3人が並べられていた。先生は平手で彼らの頬をピタン!ピタン!とたたかれた。
顔をたたかれるのを初めて見たカンコロは驚いた。
が、その後、悪ガキたちは問題を起こさなくなった。
経緯はわからないけれど、30年後の同窓会に来た悪ガキだった二人は、警察に行かずに済んでよかったと話していた。その時に聞いた話では、どうやら、どこかで何かを盗んだようだった。
カンコロはと言えば、存在感のない生徒で、教室で意見を述べたこともない子供だった。が、小学校最後の最後、先生に促されて、卒業イベントの出し物のアイデアを出して、そのアイデアが採用された思い出がある。結果は悲惨だったが、普段の会話の中から具体的な提案を引き出していただいた気がする。
先生は、多くの卒業生に人気があり、卒業後もいろんなクラス会や同窓会に参加されていた。この時のクラス会も先生が亡くなるまで10年以上続いた。カンコロは参加できない年が多かったが、中国から帰ってきて参加した時も「カンコロさん、覚えているよ」と言ってくださった。70歳代で奥様を無くされ、ガックリ弱られた、80歳になるかならないかで、亡くなった。と、思う。
クラス会を長年主宰してくれた同級生の彼も負けん気が強くてよくケンカをして、教室の前で立たされていた。父のいない彼は先生を父の様に慕っていた。と話していた。
実はこのクラス会の会場のお店は、同窓生のお店であり、小学校時代に住んでいた社宅のすぐ近所でそれも懐かしくて毎回参加させていただきました。
先生が亡くなった後、開催されていないクラス会ですけど、今年あるかもしれません。楽しみ楽しみ!!
記憶に残っている学校の先生は?
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