11月の旅は、景福宮の西側・孝子洞にあるGIWA HOUSEに宿泊しました
ここは、オシャレなカフェや美術館などがあり、最近注目されているスポットとなっております
さてさて、ハヌルのブログを読んで頂いている方の中には、GIWA HOUSEに泊まられた方や、近々行かれる方、行ってみたいと思っている方も多いのではないでしょうか???
私が宿泊していた間、何人かの方が早朝のお散歩に行かれているのを見かけました
季節が紅葉シーズンだったので、寒すぎず、綺麗な景色が楽しめますからねぇ~。
まっ、私は爆睡でしたけど
今日は、そのGIWA HOUSEから、お散歩に行くには最適な場所をご紹介させて頂きます
社稷壇(サジッタン)
なんとも発音しがたいコチラ。
景福宮から徒歩10分弱。
GIWA HOUSEからも10分程度で行けます。
そもそも、社稷壇(サジッタン)とはなんぞや?????
はい、では説明いたします
朝鮮王朝が開国した際、初代王の太祖(テジョ)は、都を漢陽(ハニャン・現在のソウル)へ遷都しました。
そして、儒教の教えと風水に基づいて、景福宮(キョンボックン)の西には宗廟(チョンミョ)、東には社稷壇を、同時期に造らせ、1395年に完成しました。
景福宮(キョンボックン)は、当時の王族が暮らした場所であり、政治を行う場として国の中心機関でした。
宗廟(チョンミョ)は王の祖先をまつる場所で、魂の眠る場所として世界遺産に登録されております。
そしてこの社稷壇は、土地の神である「社」と、穀物の神である「稷」に祭祀を行うための施設として造られました。
朱塗りの正門が残されており、3つの門が並んでいる「平三門形式」と言われるものである。
屋根も当時の建築形式を知る上で、重要な史料とされています
社稷壇は二重の塀が周囲を囲っており東側(地図の中心部の四角い中の下側)に「社壇」、西側(地図の中心部の四角い中の上側)に「稷壇」があります。
壇の形は「天は円く、地は四角い」と言う、「天円地方」の原理に基づいて造られています。
朝鮮時代には社稷壇を管理する「社稷署」や、祭祀を執り行うための建造物がありましたが、1911年の社稷壇祭祀廃止後は、2つの壇を除き、周辺は公園となってしまった
では早速中へ行って見ますと・・・・・
残念ながら、自由に入れるのはここまで
社稷壇を真近で見ることはできませんでした
でも、何とかして中の様子を写真に収めたい
って事で・・・・・柵の中に手を入れ、ズームで撮影しました~
雰囲気だけでもお楽しみ下さい
コチラからは社壇、稷壇ともに見えませんね~
見えますか~
鳥居のような物の向こう側に階段があるのが
「稷壇」ですって
この社稷壇周辺は、1周回れるので、散歩やランニングしている人がチラホラいましたよ~。
こちらは社稷壇の後ろにある階段上から見た社稷壇。
木の枝が多すぎてよく見えませんね~
でも、ここほんとにいい所でしたよ~。
大通りの真正面にありますが、公園内に入ると、とっても静か。
天気のいい日は、お弁当でも食べたい気分になりました
ちなみに、この階段を登っていくと、後ろにそびえる「仁王山」の登山入口に繋がっているそうです
いつか行ってみたいわ~
地下鉄3号栓・景福宮駅1番出口から直線に徒歩10分程度。
24時間入れます、無料
いつも読んで頂き、ありがとうございます
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