早い気もするけどパパは今年の誕生日を迎えると45歳。

紗帆ちゃんが生まれた後に糖尿病を発症してまなちゃんが生まれました。


ちなみにまなちゃんが生まれた時は一大事で、お腹を手術する騒ぎにまで発展したんですよ。

パパが仕事で捉らなく時間だけが経過。手術の誓約書サインが書けずにいたのが奏でてお医者様の勘違いミスで後に通常退院でした。


パパは生まれて直ぐに敗血症と言う病気で手術しました。

パパも当時は赤ちゃんだったので管が大きすぎて右手首に4針の手術後が・・・あります。


現在、2014年2月22日は大森病院で入院中。

糖尿病の合併症でHbA1cは13.2%。血糖値622もあって、神経障害と複視で入院してます。

ママとの婚姻中は、視力両眼共に2.0あったのが離婚後たった3年で左0.6の右目0.1にまで落ちて乱視になってしまいました。


今回の入院は2週間。

血糖を安定させる目的ですから心配は要りませんが、神経障害も大分悪くなっているのも事実です。

直ぐにどうこう・・・ではありませんが。


遺書を残しますね。

パパが先立ったら財産はママ(理恵)に50%。紗帆ちゃんに25%。まなちゃんに25%に分与します。

離婚しててもパパは、ママが大好き。

紗帆ちゃん・まなちゃんのママはとっても優しい人。性格も良く気が利く人です。

パパは仕事のストレスで紗帆ちゃんや まなちゃんおじいちゃんと喧嘩に


・・・・つづく

パパの母が好きな絵画はこのブログに掲載されているラッセン。

パパの母は現在、Hawaiiに住んでいます。

そう、白い粉になって。

確か紗帆ちゃん、まなちゃんも一緒に行きましたよね。覚えていないのも無理ありませんが、Hawaiiはオアフ沖に散骨しましたのでHawaiiにお立ち寄りの時には合掌位はしてあげて下さいね。

パパもお墓に入るのは嫌。

同じHawaiiのオアフ沖に撒いてくれれば助かります。


ラッセンの絵画は実を言うとパパも好きで現在も自宅に大きな画が飾ってあります。

イルカが好きだから。・・・・。もありますし見ているだけで心が癒されます。

波の表情も透明感があって好きな所かな。


彫刻ではイタリアはバチカンで見たピエタ像に涙しました。紗帆ちゃんやまなちゃんが いづれ訪れると思い先にご報告。パパはピエタ像を見た瞬間に涙が溢れ出て来ました。暫く止まらなくて何で?と心が動揺されてしまう程 轢き付けられる芸術には感動さえ覚えました。


絵画に絵画。小学校中学校では、図工や美術の成績は良好だったパパですが、英語や数学は不得意科目。一般的には成績は良くなかったのです。

1番でなくても良いし成績が悪くても人生設計に影響はありません。

だって、パパは高校中退でしたが、起業後には東大卒業生を雇ってた訳ですし、学歴なんか無関係です。

パパは昭和44年10月生まれ。

東京の世田谷区、祖師谷にある大蔵病院で生まれました。

紗帆ちゃん、まなちゃんのお婆ちゃんであったパパの母は当時、芸能活動をしており女優さん。

そしてパパの父は劇場の支配人をしており結ばれたと聞いています。

パパは3人目の子でパパの姉にあたる1人目2人目のおばさんは 紗帆ちゃん、まなちゃんはうんと小さい時に会っています。(Hawaiiや沖縄石垣島の旅行で一緒でした)


パパの母は昭和8年生まれ。

東京の下町で生まれ戦時中は、福島の四ツ倉に集団疎開。戦後に芸能活動(女優業)をして結婚。

配給が無くなり死を覚悟した事もあったそうです。

紗帆ちゃんが生まれるほんの少し前に胆管癌にて先立ちましたが、とても愛情の豊かな母でした。

パパから見たら優しさはあなた達のママに匹敵する程。

最期まで面倒を見たのは20年以上も一緒だった猫のマリと次女(パパの2番目の姉)で、その姉は現在引き継いでか、芸能活動をしています。


パパの父は昭和12年生まれ。

九州は長崎で長男として生まれ原爆が投下された日も長崎にいましたが丁度落ちた場所から山を隔てた所に居たので怪我は無かったそうです。町の惨状を聞かされたこともあってリアルに怖い話でした。戦争と言うものは、人間同士が自己の利益を傷つけられる前に行動する戦い。何の意味も解らないまま出兵する人も居る時代を生き抜いた人の話には興味深いところもあります。

東京へ出てとある 劇場の支配人を経て母と繋がりました。

その後、自営の道を選び平成26年現在はネットワークビジネスで成功を収めています。


これが、紗帆ちゃん、まなちゃんのパパ方にあたるお祖父さんとお祖母さんにあたります。


母方ひいじぃちゃんは、区役所の戸籍課に勤めていました。

母方ひいばぁちゃんは、株が好きだった印象がありますが、優しくてパパは好きでしたよ。

父方ひいじぃちゃんは、夏休み長崎にいった時位しか会ってなく遠い存在でしたがパパが長男だった事もあって長崎へ行けば殿様扱いされていました。子供心では逆に困っていましたが・・・・。

父方ひいばぁちゃんも優しい方でしたが一番遠い存在で2~3度会ったっきりで白血病により他界されました。


鉄道開業時、横浜駅で通訳の仕事をするご先祖様も居ました。パパの小さい頃は鉄道が好きでしたので遺伝による影響だったのかも知れません。

今、糖尿病の悪化で入院しています。

4日程前に新車のトラックを工場から回送している途中で複視になり翌日検査して入院となりました。

複視とは、モノが2重に見えることで、パパの場合片目をつむれば、モノはちゃんと見えるのです。

きっかけは、複視でしたが糖尿病としての検査で血糖値は622。 HbA1cは13.2%です。こちらの方が入院対象だったのですね。


紗帆ちゃん。まなちゃん。


パパの糖尿病発症は紗帆ちゃんが生まれてから。

新百合ヶ丘に住んでいる時、5月頃でしょうか?

やたらと喉が渇き、イチゴ牛乳にコーヒー牛乳。マミーといった飲料をゴクゴク飲んでは深夜もおしっこの為に5回以上起きてはあなた達のママを心配させていました。


歯が痛くなり新百合ヶ丘駅前のOPAビル内にある歯科を受診。

歯槽膿漏であり糖尿の疑いがあるので近くに 検査をする様に伝えられましたが 暫く放って置いたある日

(原因は糖尿病による)水風呂が好きになったパパは浴槽に浮いたまま意識を失ってしまったそうです。

ママが発見して救急車を呼び近くの聖マリアンナ病院に搬送。


そして、初めての入院となりました。

当時の血糖は600台。今と変わりないのですが、ケトン体が3以上で意識レベルも危険状態で3日程目を覚まさなかったそうです。

理恵。迷惑掛けてごめんね。


今回の入院は3度目。

今は普通に院内で過ごしています。血糖は600でも身体が慣れている為 だるいとか喉の渇きもなく本当に普通。

目の方が心配で入院している様な感じです。

これから書こうとするメッセージはあなた達のパパが生き抜いた時代の物語。

パパは今でも生きています。

しかし糖尿病が悪化し眼底出血に神経障害等の合併症も併発、今は病院のベットでこのブログを作成しています。

経営者であったパパは仕事一筋で脇目を振る事もなく家族を犠牲にし あなた達のママから愛想を付かされ離婚しました。

調停と言う形で離婚阻止を3回程しましたが、当時のママの気持ちも汲んで4回目の調停で協議離婚を成立させ ママとパパは別々の道を歩む事にしました。

紗帆、まな・・・・・。

ごめんなさい。

パパはあなた達に会えなくなりました。

離れ離れになってから、もう3年の時間が流れてしまいました。

この3年間、正直に半日は忘れていても、1日に1回以上はあなた達の事は思い出しては心を濡らしています。

あぁ。

逢いたい。

パパのスマホは あなた達2人が向き合ってキスしている所を写真にした画像を待受にしています。


何時かこのブログを あなた達が見つけてくれたら・・・・・を願って作成します。