2015年8月1日土曜日、初めて玉音放送の原文と現代語訳が公表されました。

全文を読み、テレビで昭和天皇44歳の肉声をはっきり聞くこともできました。

今、集団的自衛権だとかなんだとか、私の理解を越えての論議がなされていて、それがどのようになれば、どのように日本人の智恵や真面目さや、頑張り等が、より良く活かされて発展に向かい、「安心のニッポン」になれるのか、「難儀」を感じている自分が居る。

1945年8月の自分は小学3年生であった。

戦争の怖さ難しさも良く解らず、緊張気味の大人たちが「ふわっと」した感じになって伝わってきたことだけは忘れていない。

その当時の子どもたちはどの子も禁欲が当然のように要求がましくは無かった。衣食住に於いて全てに欲しがらなかった。


1945年の夏休みが終わって登校するや否や、教室の雰囲気が180度の方向変換があった。

校長先生の訓話に始まり、変な一日であったことは覚えている。


長野松代の防空壕について昭和天皇が「維持は無用」とおっしゃった。

陸軍が昭和天皇を松代防空壕に移して、「本土決戦」に臨もうともくろんでいた。

天皇が松代に立てこもることは「一億玉砕」を意味していたそうだから、「維持は無用」の表現をされたのです。

戦争に麻痺していた連中の「オツム」がおかしくなっていたままで戦争を引きずっていたのでしょう。

何たる頭、何たる国際感覚、何たる精神未熟・・・・・・・・。

嘆かわしいけど、終わった事を肝に銘じて嘆かわしいことは繰り返さんで貰いたいすなあ。


日本がどうなっていくのか悩める老婆です。