夢うつつのたわごと-世田谷文学館

津和野を想わせる鯉たち 10・30


約束していた30日に台風の心配とは。

サルトル彼女と2人で強行しました。

京王線の芦花公園駅までもが1年も経たないうちに新しい駅になっていて「ヘーーエ」でした。

エスカレーター、エレベーター完備。


文学館開館15周年の催しは「森鴎外と娘たち展」でした。

鴎外(1862~1922)は島根県津和野に生まれ6才で両親と共に上京、その後妹の誕生があったが、三つ子の魂は一人っ子のような子供だったらしい。


出世街道から落ちる事のない陸軍軍医、官僚の印象があり、数冊読んでいるだけでしたが、漱石と並んでもっと身近に親しんでも良いなと思いました。

二回結婚、初めの登志子さんは27才で鴎外と結婚28才で出産後1ヶ月後に早々と離婚している。於菟氏の誕生です。


2回目の結婚は18才年下の志げさん。

この方との間に産まれた子供たちの中の茉莉さんと杏奴さんの言葉で語られている鴎外の私生活が良く表れていました。

海外から国内の旅先から娘達に送られたハガキを見て、相当な家庭人であり、子煩悩であったことが頷けました。


茉莉さんは54才でデビューしている。

2度の離婚。最初の結婚が16才でした。

子供を育てながらの暮らしを書いたと言われる「贅沢貧乏」の本を買いました。かなりご苦労されたらしい。贅沢な気分で貧乏しようと言うことも悪くないと思う自分にピッタリの題名です。


杏奴さんは画家の小堀四郎と結婚、生涯沿い続けながら随筆を書いていたらしい。

この姉妹とも過去の人となっている。

唸りながら感心しながら読みたい文章が目に付きました。


鴎外が津和野のことを一冊だけ書いた「ヰタセクスアリス」も読みはぐっている。

この展示で鴎外が身近になりました。

津和野のことを語らなかった鴎外であっても「死に臨んで回帰する所は津和野の町であった」と語られている。

自分も官僚でありながら「官僚」について書いた小説もありました。題名を忘れました。


三鷹の禅林寺に入ると直ぐの右側に「・・・石見の国の森林太郎として・・・・・・一個人・・・」の遺言のようなことが書かれてあったのを思い出し、今更ながら再度深い気持ちで拝読し確かめに行かなければならない。

墓所に行けば森家のお墓の前に太宰治のお墓があって、いつ行ったときでも太宰のお墓には花やタバコお酒などがにぎやかなのです。

森林太郎のお墓にはたいてい何も無いのが普通でした。

シーーンとして静かなのでした。