「急いては事をし損じる」ってこともあるなど考えられるようになったのも70才を過ぎてからだろうか??。私が大人に育つのが遅かったからかも知れません。


2月13日鳩山法相が法政審議会に「成人年齢引き下げの是非を諮問する」と言う新聞記事が出ている。

「国民投票法施行に間に合わせるよう準備すべきだ」というのが政府の方針のようだ。これに対して鳩山法相の12日の閣議後の記者会見には、国民投票の要請を前提としながらも、同法にとらわれずに諮問する考えを示した。が。


「若年者の精神的成熟度及び若年者の保護のあり方の観念から民法の定める成人年齢を18才に引き下げるべきか否か」にどのような結論を出そうとしているのかが案じられる。


私自身がおくての発育だったと思うが、それでも高校3年になってから、「自身の生き方」を考えるようになった。それまでの自分は「是もなく、比もなく」何となく過ごしてしまっていた。何故かそれまでは地方で困ることも無くボンヤリしていたように思う。かなり幼い高校生だったと恥ずかしく思うが、一度芽生えた将来との戦いを空想しながらも気持ちは生き生きしてきた時期であった。


28才の時だったと思う。数学者で昭和36年文化勲章を受章された「岡潔氏」のフアンになり、発言や著書に関心をもった日々が続いたことを思い出す。

中でも好きな考え方は「情緒が頭をつくる」だった。

この頃書かれた著書に「春宵十話」がある。

今も思い出すことは「戦後の子供を見ていると身体的な発育は良くなったが、精神的なものが育っているとは言えない。体ばかりが早熟で魂の抜けたような顔が気にかかる」とも。


「大人とは何だろう」

新潮現代国語辞典によると、

(一)一人前に成長した人。自分で責任のとれる年頃の人。

(二)考え方などがしっかりして老成していること。

三省堂新明解国語辞典によると、

「自分の置かれている立場の自覚や、自活能力を持ち、社会の裏表も少しずつ分かりかけてきた意味で言う」とある。

歌人小池光氏の一首「人間ができるまで17年か70年かは人によりけり」。


私の成人式は世田谷区の一人として祝っていただいた。決められた会場が自校の講堂で、紺の制服スーツ姿で神妙な気持ちで参加させていただいた。

卒業の謝恩会には母が気を利かせて着物一式を送ってくれた。上野精養軒であった謝恩会の写真には中途半端な私のような感じの私が記念に写っている。

その頃の自分を省みて思うことは、20才まで親がかりで育った事に感謝するとともに、「これからの自活に夢を持って暮らしながら、父母・兄弟の健康や無事を祈っていることで親離れをしよう」と思ったものである。

ところが71才の現在の自分は、まるでカーブを描くように、「幼ながえり」をしているとも思えることがよくある。


個人の発育にもよりますが、今、日本国の成人年齢を20才から18才に引き下げることの意味を不可解に思う。何のための成人年齢引き下げの是非が問われるのであろうか??。