昨日のことですが、先日来いただいてあったチケットで上野の平成館へ行ってきました。

陽明文庫創立70周年記念特別展「宮廷のみやび」近衛家1000年の名宝。という催しにおばあさん二人の約束がやっと実現出来たわけです。

体調とお天気を気にしながら多少風邪気味の私と、雪の予報に迷った2才年長の友人とで、前日まで迷いましたが、当日の朝の予報では雪の降るのは夜からでしたから、再度約束するのもあぶないからと思いきって出かけました。


ロッカーの所で会った方のお陰で、2と3号館を先に見ました。「1号館は近衛家の縁を書いたものが多く、読めない字が多く、草臥れました」と。その上に、

こちらの聞き違いかも知れませんが、「聖徳太子は実在していなかったなどと、京都の学者が言ってるんですからねえ・・・」と不満そうに多弁になりかけた中年男性の言葉を聞いた途端に1号館に拒絶反応が起きたのです。

平安時代から江戸時代までの「みやび」の中で、2と3号館だけでも充分に古来の日本の文化などが見られたように思います。


御所人形・加賀人形・指人形・芥子人形に細工物


{御所人形}は台が木なのですね。同行した友人は長い間木目込み人形を教えていた関係で、人形には詳しくいろいろと話してくれました。

桐の木彫りに胡粉を塗り重ねて白いつややかな肌に仕上げるのだそうです。

解説にはそのようにして出来た肌を「白肉」と書いてあり、振り仮名に「しらじし」と読ませていました。


{加賀人形}は18~19世紀から「能の演目」に見立てて作られた人形だそうです。


{指人形}は江戸時代17世紀のものが飾られていました。「気楽坊」と題してあり、二人の老人が顔をグチャグチャにして笑っているのです。

後水尾天皇のご詠歌「世の中を気楽に暮らせ何事も思うは思う思わねばこそ」

が添えられていました。見ているだけで笑えてしまいましたが、何ともお気楽な天皇だったのでしょう。


{芥子人形}のことが思い出せません。


平安10世紀の玉泉帖小野道風の書などもありましたが読めません。

平安11世紀の粘葉本(でっちょうぼん)和漢朗詠集・藤原行成書も、紀貫之の書などのそばを通り抜け、また通り抜けしながら歩きました。


藤原定家筆の和歌懐紙(反古懐紙)は目につきました。

遠くから見て、かなり気分の向くように書いた「絵」のような文字でしたから、興味がありました。

よく見ますと歌会の集まりで書いたであろうと思われる練習の反古懐紙でしたが、遠くから見て絵のように見えた濃いめの線は字を消してあるのでした。

推敲を重ねながら良い歌に仕上げたいと言う感じが伝わるようでもありました。


1号室を覗く元気もなくなり、どちらからともなく「お腹も空いたし、もう出ましょう」ということで、食に勤しみました。

対して歩いたようには思いませんでしたが、万歩計を付けてた友人が言うには8000歩以上歩いていたそうです。考えられない歩数です。