(大型台風のニュースを見たりしながらの今日の読書はタイトルの本でした)。

30数年前にとても読みにくくて難解ながらも気になる本を、梅原猛氏の小論に出会って少しは解ったような感じがして来ました。


高橋和己氏は享年39才で多くのの著書を残されていますが、その中の数冊を読んだだけで解らないままお手上げした30数年の空白も忘れかけていたところ、解ったような解らないような気分で梅原氏の小論を読む巡り合わせに会いました。

梅原氏は必ずしも彼の小説のよき読者ではなかったと書かれてある。彼の人格の高潔さと思想の深淵さを愛して、作品そのものを愛さなかったのではないかと思うとも。


「少年時代に都市全体が焼けつくした廃墟に立ち、人の内なる荒廃を見た人間は、のちに華麗なる街々の装飾を見ても、なお廃墟が広がっていると思わずにはいられないものか。

彼はどのような廃墟を見たのだろうか。直接的には戦後の日本の風景であろう。少年時代に戦争をむかえた彼は、すでに青年にして戦争をむかえた自分より敗戦のショックが強かったのだろう。特攻精神の純粋さを信じていたのである。敗戦は軍隊生活をした私より、その経験のない彼にとってよりショックを与えたのである。

しかし、彼が好んで荒廃した生活を描くのは、大阪の釜が崎近くで生まれ、そのスラム街は子どもの時から見慣れた風景であった。

彼の人間存在の根本にある衝動の1つは意識の明晰化であると思う。

彼にとって人間とは、整然たる思想によって統一された1つのコスモスでなければならなかった。


梅原猛氏は高橋和己を日本では稀に見る思想的作家だと思うけれど、彼はあまりにも学生運動家であった自己の過去に執着しつつ、人間と世界を見ているような気がしてならない。彼の目が現象にとらわれずに、もっと深い20世紀後半の人間と世界そのものを凝視して欲しいと思う。

昔、彼の「悲の器」の合評会があった時に梅原氏が言った言葉。「彼はドストエフスキー的作家であるが、アリョーシャはいない。アリョ^シャが書けるようになった時、かれは世界的作家になると思う」と。


三島由紀夫の自殺。その後1年足らずで高橋和己の自殺とも言えるような病死。(酒を浴びるほど飲みながら6~7年の間に1万5千枚も書いている)40才に満たない作家が日本の文壇から消えた。


高橋和己の作品の主人公は殆どがみな破滅する。この内的必然は、少年の日に敗戦を経験し、青年の日に革命運動の挫折を経験した彼には、そう言う中で美しく死んでいった人間が純粋に見え、生き残った自分がみじめに見えるらしい。


梅原氏は「彼の才能を高く評価するが、やはり彼の文学は挫折した青春の文学であったと思う。大人になるべくして大人になることが出来なかった純粋な才能ある青春の文学であろう。

高橋和己にとって、文学とは現実世界の模写でもなく新しい世界の創造であった」。


梅原氏との出会いは立命館大学の機関誌に載った小文から親しくなったとか。やがて、立命館を辞めて上京したが、1年後には再び京都に戻った。

京都大学の助教授をしながら、全共闘運動にも加わり大学も辞職している。

その翌々年の昭和46年に39才の命を閉じた。