私の母は昨年の秋11月に元気で92歳になりました。高卒以後に母の元を離れてから50年にもなります。暮れに帰郷が出来ない年を除いては、手紙や小包で元気を贈ってくれました。結婚後電話が通じるようになってからは毎年大晦日に電話がかかります。


今日31日のたそがれ時、蝋梅に添えたい花(千両を蝋梅の真ん中に挿しました。その他の花を添えると野暮ったくなる感じがする)を生け終って、ハガキ大の父の遺影にも千両の枝落としの3本を添えてから「今日も無事に過ごせました。いろいろと大事にしてくれてありがとう。病気の時に毎日のひとこと電話で励ましてくれたお陰で今があるのです」のようなことをぶつぶつとつぶやきながら和服姿でお茶を飲み終わった感じの父の写真を見ているうちに涙腺がゆるみました。脇に立ててある額の「坂村真民氏」の詩で勇気が出ます。私の好きな詩の一つですので披露させていただきます。

 

     ”鳥は飛ばねばならぬ、人は生きねばならぬ 怒濤の海を飛びゆく鳥のように

      混沌の世を 生きねばならぬ。


      鳥は本能的に 暗黒を突破すれば 光明の島に着くことを知っている。

      そのように人も 一寸先は闇ではなく 光であることを知らねばなぬ


      新しい年を与えられた命題

      鳥は飛ばねばならぬ、人は生きねばならぬ。


「ヤレヤレ一休みしたいな」とマットに横になった途端に電話が鳴りました。かなり耳が遠くなってきて会話になりにくくなったこの頃ですが、蝋梅の話をすると「うちの蝋梅は今が盛りのように沢山咲いて見事よ」とのこと。そのようなことは滅多にないことだから写真を撮って貰うよう頼んでおきました。。

友人からいただいた蝋梅にも14個の花が咲きました。


障子の張り替えが出来ないままで何年過ぎただろうか。開け閉めするだけで破れたところに、2006年カレンダ-の表紙にあった花を切り取って貼り付けました。破れていないところにも貼ってみると好い感じになりました。(水仙、福寿草、椿、ほたるぶくろ、サクラ、あざみ)を貼りました。きっと来年も花障子が増えることと思われます。