第三章 一族の教化~女性教団の成立~ | 雲をつかんだ日

第三章 一族の教化~女性教団の成立~

黙って蒸発して、しれっと帰って来て、自分への未練を見せず、愛する息子まで連れ去ったお釈迦様に対するヤショーダラの怒りは、カルポリ監督(1979ー2004年ロシア女子バレー監督)の如くでありました。
しかし、そんなヤショーダラも最終的には出家して、お釈迦様の弟子となるのですが、それは随分先のことです。
それは、彼女自身の気持ちの問題もありましょうが、そもそも、お釈迦様が女性の出家を禁止していたんですね。
お釈迦様にとって、叔母であり、養母であるマハー・パジャー・パティから懇願されても、お釈迦様の意思は固いようでありました。

なぜお釈迦様が女性の出家を拒んでいたのか、そして、なぜそれをお許しになったのか、残念ながら納得のいくような説は見当たりません。
だったら、自分で考えるしかありません。

まぁ、単純に、先に男性の出家者によって、教団が形成されていたからかも知れませんよね。
「もう少し寝ていたいなぁ」とか、「今日はちょっとサボりたいなぁ」とか、「もっとお腹いっぱい食べたいなぁ」とか、様々な誘惑に襲われても、悟りへの尽き果てぬ想いさえあれば、それらには打ち勝てます。
しかし、異性を求める気持ちは、どうあっても止められない。
そんな理由から、女性が教団に加わることを恐れたのではないでしょうか。
つまり、女性の魅力というのは、悟りにも勝るとも劣らない、ということです。
…にもかかわず、男に取って変わろうとする女性たちは、それで地位が上がると思っているようですが、逆ですよ、逆。

それでも、女性の出家をお認めになられたのは、全員ではないにしても、指導役となるアーナンダやモッガラーナらは、教団に女性が加わっても心を乱すことはないし、他の修行者たちをきちんと導いてくれるであろう、と信頼されたからではないでしょうか。
そして、最初に出家を許されたのはマハー・パジャー・パティでした。
その後、ヤショーダラをはじめ、多くの女性信者=比丘尼(びくに)が誕生し、女性教団が形成されていきました。

その流れの先に、2021年にお亡くなりになりました瀬戸内寂聴さんがいらっしゃいます。
なかには、彼女をボロクソ言うお坊さんたちもいますが、私は寂聴さんの法話集を聴いて、仏教への興味を深めていただきましたので、恩人の一人であります。

また、尼僧兼落語家の露の団姫(つゆのまるこ)さんが、仏教について、こんなことを仰っていました。
「仏教のことをガードマンのように思っている方が結構いらっしゃいます。仏教を信じていれば、病気にならないとか、事故にあわないとか。しかし、我々お坊さんだって病気になるし、事故にあうこともあります。ですから、仏教を信じていれば、病気にならないとか、事故にあわない訳ではない。ただ、病気になった時、事故にあったときに、いかに自分の心をプラスに向けるかを教えてくれて、必ず良い方向に対応してくれるのが仏教の教えなんです。ですから、仏教はガードマンではなく、“スーパー終身型保険”と私は呼んでおります」。
実に巧い表現だなぁ…、と感心いたしました。

それもこれも、お釈迦様の英断あってのことです。

南無釈迦牟尼仏。



(合掌)



ご参考までに…。