第39章 フランス革命~バスティーユ牢獄襲撃~ | 雲をつかんだ日

第39章 フランス革命~バスティーユ牢獄襲撃~

三部会を開いたものの、互いの身分の違いによる意見の相違は、なかなか埋めることはできず、ついに第一、第二身分はそれぞれの広間で審議に入るという事態に陥ります。
これでは、第三身分の代表たちは、わざわざやって来た意味がありません。

そこで、第一身分の代表としても選出されていたシエイエスは、第三身分の代表たちに国民議会の設立を持ちかけます。


その動きを警戒した国王や保守派は、第三身分が使用していた会場を使えないようにしました。

閉め出される格好となった第三身分の代表と、第一、第二身分の代表の一部は、テニスコートに集まり、憲法が制定されるまで国民議会を解散しないことを宣言しました。

これを「球戯場(テニスコート)の誓い」といいます。

球戯場の誓いから一週間後、ルイ16世は国民議会を承認しました。
しかし、その一方で、軍隊をベルサイユに集中させ、国民議会に圧力をかけ始めます。
こうして、第一、第二身分と、第三身分との対立は徐々に激しくなっていきました。
そして、「財政難を脱却するためには、第一身分、第二身分への課税が必要である」と主張していたネッケル財務大臣の罷免をきっかけに、パリ市民の怒りはいよいよ高まり、主に政治犯を収容していたバスティーユ牢獄を襲撃します。
収容されていた囚人たちは釈放され、さらに保管してあった武器や弾薬を奪い取った市民たち。
こうなっては、後には引けません。
革命の幕開けです。

革命の機運は瞬く間にフランス全土に飛び火し、地方の農民たちも立ち上がりました。

このバスティーユ牢獄襲撃事件が起きた日が1789年7月14日であったことから、7月14日は革命記念日とされ、いまでも「パリ祭」として盛大に祝われています。


「パリ祭」の様子

「パリ祭」の様子