第39章 フランス革命~三部会の開催~ | 雲をつかんだ日

第39章 フランス革命~三部会の開催~

フランスではルイ14世の時代にベルサイユ宮殿が建てられ、貴族文化が最盛期を迎えます。
宮殿内では毎夜、毎晩、ゲームやコンサートや舞踏会が開かれ、華やかな日々が送られていました。
しかし、三十年戦争や、スペインの王位継承戦争、さらにはアメリカの独立戦争への多額の資金援助で、フランス国内の財政はすでに破綻していました。
それでも、宮殿での生活は変わらず、それを支えるために国民は重税に苦しんでいました。

1774年、ルイ15世が亡くなり、ルイ16世がフランス国王に即位します。
その妻、オーストリアの女帝マリア・テレジアの娘、マリー・アントワネットは王妃となります。
彼らは国民たちの生活圏から大きく離れたベルサイユに住んでいたこともあり、飢饉や重税に苦しむ国民の声は耳に届いていませんでした。
例え届いていたとしても、毎夜、毎晩の贅沢なパーティーは彼らにとっては"当たり前"の生活でした。

ルソーの『社会契約論』、モンテスキューの『法の精神』などの影響により、啓蒙思想(けいもうしそう=キリスト教的世界観や封建的思想を批判し、人間性の解放を目ざす思想)が広がっていくとともに、盛り場などでの政治談義が盛んに行われるようになりました。
そこで話された内容などが、本や新聞を通じて各地に広がっていくようになります。
また、整備された道路も、情報伝達の速さと、民衆の集結に一役買っていました。

一方、ルイ16世は財政難を克服するために、聖職者や貴族からも税金を取れるようにするために、第一身分の聖職者、第二身分の貴族、第三身分の平民の代表たちによる話し合いの場、三部会を開催することとします。
1789年5月5日、第一身分から約300人、第二身分から約300人、第三身分から選出された約600人がベルサイユに集結しました。
そこで、弁護士のロベスピエール、聖職者のシエイエス、貴族のミラボー、ラファイエットら、革命の中心人物となる面々が顔を会わせることになるのです。

ロベスピエール

シエイエス



ミラボー

ラファイエット