問題集 『古事記』下巻その1~聖帝~ | 雲をつかんだ日

問題集 『古事記』下巻その1~聖帝~

皇位を譲りあっていた弟の(① )が亡くなったことにより、皇位に就くこととなったオオサザキは、難波の(② )で(③ )天皇として即位しました。

そうです。
日本史の教科書に登場する、どでかい前方後円墳に埋葬されている、あの方です。

しかし、③天皇はそれだけの方ではなく、あれだけの巨大な古墳が用意されるほど、大きな功績を残されました。
土木工事によって河川の氾濫を防いだり、用水路を作って農業の安定を図り、さらには新田開発も行い生産性の向上に貢献しました。
さらには、住吉大社に祖母の(④ )皇后を合祀し、航海の安全を願いました。

それだけなら、単なる"やり手の政治家"という感じですが、これらの原動力となったのが、即位して間もなくのこと、「(⑤ )=天皇が高いところから見下ろし、その土地を褒める。そうすると、その土地は豊作になるという儀式)」に出かけた天皇は、皇居から立ち上る煙を見て、夕食の支度をしているのだと思いました。
しかし、よくよく見てみると、民家からは煙が上がりません。

「民たちは竈に火を入れることもできないのか」。

国民の困窮した状況を知った天皇は、国見儀礼を途中で切り上げて、皇居に戻るとすぐに詔(みことのり=天皇からの命令)を出します。

「これより三年間、税の徴収と労役を中止とする」。

こんなことをしたら、②が困窮します。
しかし、それでも、「国民が豊かでなければ、国は豊かとはいえない。国民が貧しいということは、国が貧しいということ」という理念のもと、貧乏生活に耐え、むしろ楽しむ余裕すら見せたのです。

そして三年後、山の上から町を見渡すと、次々と民家から煙が上がるのが見えました。
その景色を感慨深く眺めたのち、徴税と労役を再開する詔を発しました。
すると、国民が一斉に②に押し寄せて来ました。
これは詔に対する国民の怒り…かと思いきや、三年間、修繕費用もなくボロボロになっていた②を直しに来たのでした。
こうしたことから、③天皇は聖帝(ひじりのみかど)とも呼ばれています。

また、③天皇は大変女好きだったという記述も残っていますが、結構なことではありませんか。
女性が好きだということは、女性に好まれる努力をするということで、それは、弱者の声に耳を傾け、想いを汲み、自身を犠牲にしてでも、それらを守ることです。
仁徳天皇の男らしさは、女性の女らしさから生まれたものであり、異性同士が惹かれ合い、磨き合うことが、健全な社会を作っていくのだということを証明しているようです。